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2016/09/01

平成28年度 第2学期 始業式講話

| by master

 
 皆さん、おはようございます。
 いよいよ今日から2学期が始まりました。
 夏休みモードから学校モードへのスイッチの切り替えをお願いします。

 さて、2学期の始業式にあたり、2点確認して置きたいと思います。
 1点目は、くどいようですが、
 1学期の終業式の時にお話した「プラス思考」「未来志向」のおまじないの言葉です。
 思い出してください。
 さあ、皆さんご一緒に。「過去と相手は…?」(変えられない。)
 「変えられるのは…?」(自分と将来!)
 そのためにはまず行動を起こすことでした。
 今できる小さなことから始めることを、「スモール・ステップ」といいました。
 たとえば、焦る気持ちから、イライラして落ち着かなかったら、
 とりあえず気分転換に散歩に出てみる。
 あるいは、とりあえずお茶やコーヒーを入れて飲んでみる。
 そんな小さな行動でも、現状改善のための第1歩を踏み出してみることです。
 「過去と相手は変えられない。変えられるのは自分と将来!」です。
 忘れないでください。

 2点目です。昨年も、ちょうどこの夏休み明けにお話したことと重なります。
 それは「学校生活の安全・安心」についてです。
 この夏休み、凄惨な殺人事件や傷害事件、中高生の自殺などが多発しました。
 そのひとつに、皆さんと同世代の16歳の少年が
 埼玉県の河川敷で殺害されるという事件がありました。
 新聞報道等によれば、被害者の少年は、中学生を含む複数人の少年たちによって
 1時間以上に及ぶ暴行を受け、最後はけいれんを起こし動けなくなったところを
 川に顔を沈められ、溺死させられるという、非常に残酷な殺害のされ方をしています。
 さらに容疑者の少年たちは遺体を河川敷にそのまま放置して逃走し、
 SNSを使ってアリバイ工作をしていたともありました。
 すぐに昨年の2月に起きた川崎の中学1年生殺害事件を思い出した人もいたと思います。
 あれから2年も経たないうちに同じような事件がまた起きてしまいました。

 ちょっと視点を変えますが、江戸時代、会津藩(今の福島県の会津地方)の
 武士の子どもたちの生活ルールに「什の掟」というのがありました。
 どこかで聞いたことのある人もいるのではないでしょうか。
 「什」というのは、数字の「十」ではなくて、
 会津藩内の地域、地域の子どもたちの集まりを「什」と言ったそうです。
 その仲間集団「什」によって多少違いがあるようですが、
 この「什の掟」は7項目からできています。
 その掟の最後には「ならぬものはならぬものです」という言葉があって、
 今風にいえば「ダメなものはダメです」という言葉で締めくくられています。
 ダメなものはダメなんだから、屁理屈や言い訳は一切通用しませんよと強く戒めています。
 さて、その7つある掟の中に
 「一、卑怯な振舞いをしてはなりませぬ」という項目があります。
 「卑怯」という言葉は最近はあまり聞かれなくなった言葉ですが、
 まさに大勢で一人をなぶるという行為は、「卑怯」という言葉がぴったりの行為です。
 「卑怯」とは、やり方や心の持ち方がずるいとか、汚いという意味で使われていますが、
 古くから私たち日本人の道徳心の中には、
 この「卑怯」な行為をしないというのが大きなウェイトを占めてきました。
 したがって、「卑怯者!」というののしりの言葉を受けることは、
 最も屈辱的なことであり、
 「卑怯者」と言われないような振舞いを、いつも心がけることが、
 武士としての、人としての大切な行動規準でした。
 さらに「什の掟」では、はっきり
 「一、弱い者をいじめてはなりませぬ。」という項目も、その次に載っています。
 「卑怯な振舞い」の中でも、取り立てて「弱い者いじめ」を禁止しています。

 さて、ここで皆さんに考えてもらいたいことは、
 力の強い者たちが複数で、ひとりの弱い者を寄ってたかっていじめるということは
 してならないことだ、と誰ものが分かっているはずなのに、
 これが実際は、なかなかなくならない。
 なっくならないどころか、どんどんエスカレートして今回のような凄惨な事件が起きている。
 それは、なぜなのか? ということです。
 さらに、その対処方法はないのか? ということです。
 誤解をおそれず、正直に自分自身のことを振り返ってカミングアウトします。
 いじめはなくならないと思っています。
 より正確にいうならば、私たち人間が集団を作って生活している限り、
 人の命を奪うような悪質なものは別として、
 いじめ的な行為を0にするということはできないと考えています。
 実際私自身小学校の頃、上履きを隠されたり、
 意味深な目配せや仲間ずれという、いじめを受けました。
 今から40数年前のことですが、はっきり覚えています。
 中学校に入って、学年、クラスの中に
 もっと露骨な嫌がらせやいじめを受けていた人たちがいました。
 私は小学校時代のいじめられた経験からいじめる側には回らなかったけれども、
 そのいじめを解決することはできなかったし、
 その子たちと普通に接することで
 「さすが、優等生は違うよな」と嫌味を言われるようなこともあって、
 いじめられている子たちの立場になって考え、行動することもできませんでした。
 さすがに高校生になるといじめという理屈に合わない不条理な行為はなくなりましたが、
 それが私の偽らざるいじめ経験です。
 私の個人的な考えですが、小学校高学年から中学校にかけての思春期は、
 心と体の発達が急激で、バランスを欠いてしまい、
 周囲の人たちから認めてもらいたいという社会的承認欲求や
 独占欲、あるいは嫉妬心などが強くなり、
 理性で行動を抑えるよりも、
 そうした感情に強く流されて、
 いじめ的行為は発生してしまうのではないか、と考えます。
 従って、誰もが通る子どもから大人になる過程での出来事として、
 いじめはなくならないと考えるわけです。

 そう考えてみると、「什の掟」が、「卑怯な振舞いはしてはいけないよ」とか
 「弱い者いじめはしてはいけないよ」とことさらに戒めてきたのは、
 人間は、特に子どものころというのは、放っておけば、卑怯なこともしてしまうし、
 弱い者いじめをしてしまうものだということの裏返しの証明でもあるわけです。
 考えてみれば、もっともな話、必要がなければ、
 敢えて掟やルールをつくることはないわけです。
 起こり得るからこそ戒めているわけです。
 まず人間とは誰もがそうした不安定で危っかしい生き物だという自覚を持つこと、
 そして、その自覚をもとに理性に従った行動をとるよう常に心かけることが大切です。
 理性とは人間だけが持つ能力です。
 欲求や欲望に負けない、理に叶った冷静な判断力です。
 いじめの場合でいえば、
 どんなにむかつても「これ以上はやり過ぎ、やめよう(やめさせよう)」とか
 「もう自分たちでは解決できないから、信頼できる大人に相談するしかない」
 といった判断をし、実際に行動に移せる力が理性です。
 理性を働かせてください。
 それが、このようないじめや悲惨な傷害事件、殺害事件を起こさせない
 対処方法のひとつだろうと思います。
 かつての私がそうだったように
 一度始まってしまったいじめは、
 子どもたちの手だけで解決できない場合がほとんどです。
 大人の力を借りることです。
 大人の手を借りて「早期発見・早期対応」に努めるしかありません、
 取り返しのつかないことになる前に。
 もし、心配ごとのある人は勇気を持って近くの信頼できる大人に相談してください。
 一番は担任の先生になるかと思いますが、
 内容によっては、相談しやすい先生に声をかけてください。
 「一人で悩まないこと」
 「見て見ぬふりはしないこと」をお願いします。
 進級も卒業も、進路決定も二の次です。
 まずは「学校生活の安全・安心」が最優先課題です。
 命はひとつだけです。
 こればかりは、繰り返しややり直しはできません。
 このことを確認して、2学期をスタートして行きましょう。

                                   


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