2学期始業式の校長講話をまとめ直したものを掲載します。
4月の掲載内容もそうだったのですが、以下の内容は、本校新入生へのメッセージというだけでなく、高校生の皆さん全員に意識してほしい事柄として掲載します。
【 9月1日は何の日? 】
本校で第2学期の始業式がおこなわれたこの日。さて、何の日?
明治時代にさかのぼりますと、現在の東北本線(当時の日本鉄道奥州線)が全線開通したのが1891年(明治24年)の9月1日であったそうです。
当時は、上野―青森間を約一日(23時間以上)で結んだということです。
「鉄道唱歌」の第三集の40番の歌詞には、次のように書かれています。
『勇む笛の音いそぐ人 汽車はつきけり青森に 昔は陸路二十日道 今は鉄道一昼夜』
鉄道網が整備され、日本国内の移動が飛躍的に便利になったことへの賛辞と文明開化を推し進めてきた当時の人々の自負が込められているようです。
時代を下って大正時代になりますと、甚大な被害をもたらし、多くの方が被災された地震災害「関東大震災」が1923年(大正12年)9月1日に発生しています。この時は、190万人が被災、10万5千人以上の人々が亡くなったり行方不明となったりしたとされています。
平成の現在、9月1日は防災の日です。防災の日は、1960年(昭和35年)に制定されましたが、もちろん、この9月1日に制定されたのは関東大震災の大きな被害と無縁ではありません。また、「9月」は、台風の襲来が多い時期とされています。昭和34年の伊勢湾台風では、やはり甚大な被害と、深い爪痕が被災地に残されました。被災された方々の思いも含め、当時の状況に思いを致すとともに、自然災害の恐ろしさと、「備えること」の大切さを再認識しなければなりません。
【 自然災害に備えるということ 】
平成の現在、東京―青森間は、「鉄道一昼夜」の時代から、新幹線を利用すれば3時間程度の時代となっています。この大幅な時間短縮に象徴される科学技術の進歩は、現代では、文字通り「日進月歩」といえましょう。
しかしながら、自然災害に対しては、いかなる技術をもってしても、その猛威を防ぎきることはできません。これはいわば「あたりまえ」のことです。 では、この「あたりまえ」という言葉に注目しながら、話を進めます。
自然災害においては、発生時に、まず身を守ることが第一ですが、この時無事であれば被災から免れたことにはなりません。この後、地震なり台風なりが残した深い爪痕の中での生活を余儀なくされます。「あたりまえ」のことですが、自然災害の規模が大きければ大きいほど、ライフライン(電気・ガス・水道・通信・物流等)は深刻なダメージを受けます。つまり、蛇口をひねれば水が出る、スイッチを入れれば、明かりがつく、といった「あたりまえ」の生活が「あたりまえ」でなくなるわけです。食料品を手に入れようとしても、コンビニやスーパーが倒壊しているかもしれません。では、その現実の前にしたとき、私たちはどうすればよいのでしょう?
「あたりまえ」で過ぎていく日常生活が「あたりまえ」でなくなる非日常が「あたりまえ」になった時、想像以上に恐ろしく厳しい現実に直面します。
私たちは、大規模な自然災害が発生すれば、このような厳しい生活に陥らざるをえないことも「あたりまえ」だと思っています。しかし、それに備えることは(大変妙なことですが)残念ながら「あたりまえ」にはなっていません。過去の大きな自然災害に思いを致し、自分の身に起こったら…と想像すること、それもリアルに思い描くこと。それができれば、少しでも何か備えておこうと行動を起こすのが「あたりまえ」だと思います。
本日9月1日防災の日の私の話は、一言で言ってしまえば「あたりまえ」の話です。ただ、この話を聞いて、「あたりまえ」のことに取り組むことができるのかは、皆さん次第だということは心にとめておいてください。
以上です。