校長あいさつ

 

校長室だより2017

校長室だより
12
2017/12/20

生徒会活動を見直そう  ー「生徒会役員認証式」よりー

| by urayasuminami-h

 本日、第34期にあたる新生徒会役員の認証式が本校体育館で行われました。

全校生徒の前で、多少緊張した面持ちながら、引き締まった表情の新役員諸君に、生徒会活動のリーダーとしての頼もしさを強く感じました。

 さて、今回は、この認証式で私が話した内容に一部手を加えて掲載します。

できれば、保護者の皆様、地域の方々にも御一読いただき、日頃の生徒の活動に、改めて目を向けていただきたいと願っております。そして、ボランティア等の生徒の活動が目に留まりましたなら、励ましのお言葉などを頂戴できれば幸いです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私が生徒会誌第29号の巻頭言の原稿の依頼を受けた際、「参考に」と本誌の第28号をいただきました。そこで、原稿に取り掛かる前に早速読んでみました。原稿を寄せているのは、生徒会の顧問などの本校の先生方、各委員会及び部活動の代表生徒、そして各ホームルームの生徒諸君。

 生徒会誌第28号はA5判で全28ページの小冊子ながら、手作り感満載のものです。表紙は漫画研究部員のイラストで、最後の28ページ目には「編集」として第32期及び第33期の生徒会役員の氏名と集合写真が掲載されています。そしてその最終ページは、「協力 全生徒 全職員」という言葉で締めくくられています。この生徒会誌を手にしたとき、『まさにこれが生徒会活動だな』という思いが不意に湧き上がってきました。  

 そもそも生徒会活動とはどのような活動を指すのでしょうか。もしこれが、生徒会役員だけの活動という狭い意味であれば、本誌は必要ありません。私は、本来の生徒会活動について『生徒が自らの手で自らの学校生活を有意義に、そして豊かにするために取り組む活動』であり、『当然、生徒諸君が主体となるべき活動』だと考えています。例えば、生徒総会や生徒会役員選挙が、生徒による運営であるのは、これが理由であることはいまさら言うまでもありません。自分たちの手で自分たちの高校生活をより良いものに改善していく。そのための「仕組み」が生徒会役員制度であり、委員会組織であり、部活動であることもまた、言うまでもないことです。

 生徒諸君の高校生活の基盤は、まずホームルームです。そこでの生活で感じている課題や改善点について、そのホームルームの代表となる各委員がそれぞれの委員会で報告し合い、協議・検討していく。また、自分の興味・関心に合わせ、自らの学校生活や自分自身を豊かにするために自らの判断で積極的に部活動に参加する。第34期となる新生徒会役員が全校生徒の前で認証され、生徒会誌第29号も発刊されようとしている今、このような生徒会活動の本来の姿を是非思い起こしてもらいたいと思います。もちろん先生方も無関係ではありません。生徒会活動において先生方は、有力な協力者であり、相談役です。しかも、生徒諸君の活動次第では、PTAや同窓会といった組織や地域の方々までも「協力者」となってくれる可能性も大いにあるのです。

 日常の学校生活の中で、自分自身の向上に向けた努力をすることはとても尊いことです。そこで、皆さんが、その努力を少しだけでも学校全体に向けたものにしてもらえると、皆さん自身とともに学校もまたどんどん良くなっていく(生活しやすくなっていく)と思います。これは難しいことではありません。ホームルーム活動、委員会や部活動、生徒会行事、ボランティア等々。生徒会活動において、自分にできること、やってみようかなと思うことを実行してみること。これが大切なことだと思います。第28号の「協力 全生徒 全職員」の深い意味がここにあるのだと思います。

 最後に、生徒会役員に意思と勇気と目標をもって立候補してくれた皆さんに深い敬意を表します。本校の生徒会活動のまとめ役として、先生方と「協力」して、よりよい学校生活の創造を目指してもらえるよう願っております。


13:57
2017/10/17

写真のない記事

| by urayasuminami-h

 10月14日(土)・15日(日)の両日、高洲公民館文化祭に本校生徒・職員が参加しました。美術部・書道部が作品を展示。

 14日(土)は吹奏楽部が演奏を行いました。

 吹奏楽部の顧問の先生に「写真はないの?」と聞いたところ、「写真は撮れませんでした。引率職員も生徒と一緒に演奏に参加していましたので・・・。」とのこと。

 文化部もようやく盛んになりつつありますが、吹奏楽部は、残念なことに十分な部員確保には至っていない状態です。しかし、少ない部員ながら意欲のある生徒と共に活動する先生方の姿勢に感謝した文化祭でした。


16:09
2017/09/08

部活動活発化

| by urayasuminami-h

 最近、部活動が盛んになってきました。放課後のグラウンド・テニスコート・体育館・校舎内でも生徒たちの活動風景が見られます。

 昨日から、朝練風景も見られ、それぞれの部でひたむきに活動に取り組む生徒たちを心から応援したいと思いました。

 生徒たちの活動については、順次アップしてありますので、本ページにお越しいただいた方は、そちらも是非ご覧ください。


17:05
2017/09/08

2学期始業式校長講話

| by urayasuminami-h

 2学期始業式の校長講話をまとめ直したものを掲載します。

 4月の掲載内容もそうだったのですが、以下の内容は、本校新入生へのメッセージというだけでなく、高校生の皆さん全員に意識してほしい事柄として掲載します。

 

【 9月1日は何の日? 】

本校で第2学期の始業式がおこなわれたこの日。さて、何の日?

 明治時代にさかのぼりますと、現在の東北本線(当時の日本鉄道奥州線)が全線開通したのが1891(明治24)91日であったそうです。

 当時は、上野―青森間を約一日(23時間以上)で結んだということです。

 「鉄道唱歌」の第三集の40番の歌詞には、次のように書かれています。

『勇む笛の音いそぐ人 汽車はつきけり青森に 昔は陸路二十日道 今は鉄道一昼夜』

 鉄道網が整備され、日本国内の移動が飛躍的に便利になったことへの賛辞と文明開化を推し進めてきた当時の人々の自負が込められているようです。

 時代を下って大正時代になりますと、甚大な被害をもたらし、多くの方が被災された地震災害「関東大震災」が1923(大正12)91日に発生しています。この時は、190万人が被災、105千人以上の人々が亡くなったり行方不明となったりしたとされています。

 平成の現在、91日は防災の日です。防災の日は、1960年(昭和35年)に制定されましたが、もちろん、この9月1日に制定されたのは関東大震災の大きな被害と無縁ではありません。また、「9月」は、台風の襲来が多い時期とされています。昭和34年の伊勢湾台風では、やはり甚大な被害と、深い爪痕が被災地に残されました。被災された方々の思いも含め、当時の状況に思いを致すとともに、自然災害の恐ろしさと、「備えること」の大切さを再認識しなければなりません。

 

【 自然災害に備えるということ 】

平成の現在、東京―青森間は、「鉄道一昼夜」の時代から、新幹線を利用すれば3時間程度の時代となっています。この大幅な時間短縮に象徴される科学技術の進歩は、現代では、文字通り「日進月歩」といえましょう。

しかしながら、自然災害に対しては、いかなる技術をもってしても、その猛威を防ぎきることはできません。これはいわば「あたりまえ」のことです。 では、この「あたりまえ」という言葉に注目しながら、話を進めます。

 自然災害においては、発生時に、まず身を守ることが第一ですが、この時無事であれば被災から免れたことにはなりません。この後、地震なり台風なりが残した深い爪痕の中での生活を余儀なくされます。「あたりまえ」のことですが、自然災害の規模が大きければ大きいほど、ライフライン(電気・ガス・水道・通信・物流等)は深刻なダメージを受けます。つまり、蛇口をひねれば水が出る、スイッチを入れれば、明かりがつく、といった「あたりまえ」の生活が「あたりまえ」でなくなるわけです。食料品を手に入れようとしても、コンビニやスーパーが倒壊しているかもしれません。では、その現実の前にしたとき、私たちはどうすればよいのでしょう?

 「あたりまえ」で過ぎていく日常生活が「あたりまえ」でなくなる非日常が「あたりまえ」になった時、想像以上に恐ろしく厳しい現実に直面します。

 私たちは、大規模な自然災害が発生すれば、このような厳しい生活に陥らざるをえないことも「あたりまえ」だと思っています。しかし、それに備えることは(大変妙なことですが)残念ながら「あたりまえ」にはなっていません。過去の大きな自然災害に思いを致し、自分の身に起こったら…と想像すること、それもリアルに思い描くこと。それができれば、少しでも何か備えておこうと行動を起こすのが「あたりまえ」だと思います。

 本日9月1日防災の日の私の話は、一言で言ってしまえば「あたりまえ」の話です。ただ、この話を聞いて、「あたりまえ」のことに取り組むことができるのかは、皆さん次第だということは心にとめておいてください。

 以上です。


16:53
2017/09/08

光陰矢の如し

| by urayasuminami-h

 『光陰矢の如し』。この言葉が、「月日の経つのはあっという間である」という意味を持つことは、広く知られていることと思います。一方、この言葉が「放たれた矢」のような月日は、当然、「二度と戻っては来ない」という意味まで含んでいることは、以外と意識されていないように思います。時は二度と戻っては来ない流れである、だからこそ無駄にしてはいけない。『時は金なり』とはよく言ったものだと改めて感心します。

 私は今年四月に本校に赴任し、先生方や保護者の皆様のご協力を得ながら、より良い浦安南高等学校を目指して日々職務に取り組んできました。そして、気がつけば一学期も終わり、夏期休業を迎えようとしています。まさに『光陰矢の如し』。

 同時に、この一学期、自分はどれほどの課題に取り組めたのか、そしてどれほど前進できたのかを改めて見直す必要を感じています。これは、『光陰矢の如し』のもう一つの意味「矢のような月日は二度と戻ってこない」、だから「時は無駄にしてはいけない」に関わることです。

 時を無駄にしないよう、充実した毎日を送ろうとする意欲を持ち、その努力することは大変重要で立派な心構えです。しかし、これは大人でもかなり難しいことだと思います。であれば、せめて、過ぎ去った時を見直し、これからの時の流れの中で役立てていくことが必要でしょう。

 『脚下照顧』(きゃっかしょうこ)という言葉があります。私はシンプルに「自分の足元を見て、自分をよく反省せよ」という意味にとらえています。一度立ち止まって、自分の足元、つまり、自分の立ち位置や状況を確認し、それまでの自分を反省する。このような意識がなければ、時とともに流されるだけで、「あっという間の時の流れ」も、ましてや「二度と戻らない時の貴重さ」なども決して実感できないと思っています。

 本校生徒に限らず、高校生に『脚下照顧』を求めることは、大変難しいことですが、身近な事柄から「立ち止まって振り返る」ことはできるはずです。今更言うまでもないことではありますが、成績や遅刻・欠席日数は単なる数字ではありません。数字の善し悪しより、その数字に至った生徒の「過ぎ去った日々」がどのようなものであったのか、が大切なことなのです。

 保護者の皆様も、この一学期間のお子様の学校生活を保護者の視点で今一度振り返っていただきたいと思います。保護者と本校職員双方の視点で生徒を見直すことが、二学期の学校生活の充実につながると思います。


16:51
12