校長室

校長室だより
123
2017/03/24

H28 3学期終業式講話

| by urayasuminami-h
 皆さん、おはようございます。
 今日で平成28年度が終わります。
 皆さんは来年度、
 といっても2週間後には、
 それぞれ新2年生、新3年生としてスタートを切ります。
  その自覚はありますか?

 一昨日の全校集会で、進路指導部の高橋先生からもお話があったように、
 あと2週間で、2年生は最上級生になり、
 卒業後の進路決定に向けての活動が始まります。
 ライバルは、校内の顔見知りではありません。
 よその学校の3年生との競争になります。
 そのスタートが2週間後に迫っているんだと思ってください。
 一斉にスタートするんだけれども、
 中3の時のように、ほとんど全員が、
 全日制普通科高校を目指していた時とはわけが違います。
 みんなと同じことをしていれば、なんとかなるということはもうありません。
 在籍101名ということであれば、101通りのレース展開になります。
 走る距離も違えば、走るコースも違います。
 つまり、それぞれにするべき準備も違うし、
 卒業後の生活スタイルも大きく変わってくるということです。

 さらに、レース中は孤独です。
 基本的には、ひとりで考え、ひとりで決め、ひとりで実行するしかありません。
 泣きながら面接練習をした先輩のように、
 その孤独に耐えてこそ、道は拓かれるし、
 卒業した後、拓かれた道を迷いなく、進んでいくことができるんです。
 もちろん、
 担任の先生方をはじめ学年の先生方、進路指導部の先生方が相談に乗ってくれます。
 間違いのない、適切なアドバイスをしてくれます。
 しかし、自分のことは自分で決めるという自覚と、
 孤独に耐える忍耐力とを
 今養っておくことは、とても大事なことです。
 新3年生は、ぜひともこの2週間をその準備に充ててください。
 いいスタートを切ることは、いい結果につながるはずです。

 さて、話は変わりますが、
 今年も3月8日に、
 浦安市内の中学校の校長先生方が、本校の卒業式にきてくれました。
 そして、「やはり浦安南の卒業式はでいいですね、今年も感動しました。」
 というお褒めの言葉をいただきました。
 私自身もその思いを新たにしました。
 厳粛な中にも感動的な卒業式だったと思います。
 1時間20分もの長い時間、緊張の糸を切らず、
 送別の歌や校歌斉唱では、しっかりと歌ってくれた在校生の頑張りがあってこその、
 今年の卒業式だったと思っています。
 改めて、皆さんの式典に臨む態度に感謝します。
 どうもありがとう。
 
 これは私の個人的な感想かもしれませんが、
 「数ある学校行事の中で、
 最も美しく、そしてその学校を象徴する行事は、卒業式でなはいか」
 と常々思っています。
 というのも、卒業生や保護者の方の3年間の思いや、
 在校生や先生方の卒業生を送る思い、
 そうしたたくさんの人たちの、たくさんの思いが、
 「一同礼」や「起立」・「着席」といった一つ一つの動作に込められ、
 集約されて表現されるからだろうと考えています。
 「おめでとう」
 「ありがとう」と
 ひとりひとりが直接口にするよりも、
 そうした思いを実に効果的に伝え合うことができる形式が、
 卒業式という式典なんだろうと感じています。
 したがって、式典に参加する者すべてが、
 心をひとつにして、服装を正し、緊張感をもって臨めるかどうかが、
 その成否(成功か失敗か)を決める大事な要素となります。
 そしてまた、そうした厳粛な式典ができる学校かどうかが、
 その学校の今を、象徴しているのではないでしょうか。

 その意味において、今年の卒業式も大変すばらしい式典でした。
 明らかに浦安南高校は、変わりました。
 今や浦安南高校は、どこに出しても恥ずかしくない式典ができる学校です。
 来ていただいた来賓の方々から、
 「いい式典でしたね」と褒めていただける学校になりました。
 それは、先輩たちの積み重ねてきた努力の成果でもあり、
 今いる在校生の皆さんの努力と協力があったればこそのものです。
 来年も、再来年も浦安南高校の卒業式が感動的なものであると信じます。
 1年生の皆さん、来年の卒業式で新入生の手本になるのは、皆さんです。
 まず皆さんが、「次は自分たちの番だ」という思いを強くもって、
 来年の卒業式に臨めるよう、
 来年度1年間の高校生活を充実したものにしてください。

 そこで、最後に入学式のときにお話したことを確認して、講話を閉じます。
 1年生の皆さんは、覚えているでしょうか?
 いい人間関係をつくるのに欠かせないものを2つ上げました。
 何だったでしょうか?
 「いい挨拶」と「思いやりの心」でした。
 「いい挨拶」「笑顔の挨拶」は、いい人間関係をつくる基本です。
 挨拶をされて不愉快になる人はいません。
 まして、それが笑顔だったら、いうまでもありません。
 そして、「思いやりの心」を古代中国では「仁」といい、
 それが形となって表れたものが「礼」だというお話をしました。
 したがって、「礼儀」がなっていないということは、
 「思いやりの心」がないというのと同じです。
 言葉遣いや服装・頭髪など、改まった席では「礼儀」が大切にされるわけを、
 卒業式を通じて皆さんは理解したはずです。
 そして、「思いやり」のないところにも「いい人間関係」は成立しません。
 皆さんは何のためにこの浦安南高校に入学してきたのか?
 すべては、実社会にでたときに困らないだけの基礎・基本を身に付けるためです。
 それが、皆さんの目的であり、浦安南高校のミッション(使命)でもあります。
 そのために先生方は、日々皆さんを指導してくれています。
 社会人となったときに、周囲の人たちにかわいがられ、大切にされる人間となれるよう、
 しっかりとした学校生活を送り、本校を卒業していってください。

 では来月、4月6日の始業式に、元気な笑顔で、またこの体育館に集合してください。
 交通事故等には、十分気をつけて、この春休みを過ごしましょう。 
 以上です。
09:54
2017/03/09

H28卒業式式辞(抜粋)

| by urayasuminami-h
  (前略)

 さて、卒業生の皆さん、皆さんとは二年間のお付き合いでした。
 この二年間、私なりに様々な機会を通じ、皆さんの心の支えとなるであろう
 「パワー・フレイズ」をいくつか紹介してきました。
 一月の始業式の時にもお話したように、
 言葉というものは、単なるコミュニケーション(意思伝達)の道具ではありません。 
  人間は言葉によって物事を認識し、思考し、伝え合い、理解し合っています。
 言葉は、人間存在の根幹に係わる大切な役割を担っています。
 言葉が貧弱であれば、貧弱な考え方しかできないし、
 荒んだ言葉からは荒んだ人間関係しか生まれません。
 言葉の持つ力について、この高校卒業という機会を契機に、
 今一度考えてみてほしいと思います。
 そんな言葉の力の一つが、「パワー・フレイズ」です。
 人が生きていくということは、
 様々な困難を克服し、乗り越えていくことにほかなりません。
 程度の差こそあれ、困難のない人生などあり得ないと言っていいでしょう。

 私事になりますが、高校の卒業アルバムの寄せ書きに、
 ある恩師が書いてくれた言葉を今もはっきりと思い出すことができます。
 それは鎌倉時代の親鸞というお坊さんの言葉を
 正しく解釈してまとめた「歎異抄」という本の一節からとったものだそうで、
 「『とても地獄は一定住みかぞかし』」と思えば呵々」というものでした。
 「どうせこの世はどっちに転んだって地獄なんだからと思っていれば、
 どんなにつらいことがあってもなんとか生きていけるものさ。」
 くらいの意味だとその先生は話してくれました。
 卒業というおめでたい場面にはそぐわない言葉のように感じるかもしれませんが、
 この年齢になると恩師の思いやりというか、
 深い愛情を感じる言葉に思えてなりません。
 まだ私には「人生は地獄だ!」とまでは断言できませんが、
 これからも様々な困難に出会うことが想定される人生において、
 心の支えとなる「パワー・フレイズ」を何個か持っているのと
 そうでないのとでは、明らかに違うと確信します。
 そこで、私から卒業生の皆さんに贈る最後の「パワー・フレイズ」です。
 英語で恐縮ですが、これは私が四〇代前半に仕事上の壁にぶつかったとき、
 ある上司の方からいただいた言葉です。
 当時を振り返ってみると、若いころとは違い、年をとってからの挫折感は、
 かなりきついものがあったように記憶しています。
 そんな時かけていただいた言葉です。
  
 「Face it. Deal with it. Accept it. And forget it.」

 意味は「Face it.(困難に出会ったとき、逃げずにしっかりと)向き合いなさい。
 Deal with it.(その困難に)上手に対処しなさい。
 Accept it.(その結果を)受け入れなさい。
 And forget it.そして、忘れてしまいなさい。」です。

 最後の「forget it」という「忘れてしまいなさい」という言葉に、
 本当に救われる思いがしたのを今でも覚えています。
 「やるだけやったら、それでもういいんだよ。くよくよするなよ。」
 と優しく肩をたたかれた思いがしました。
 「パワー・フレイズ」とは、
 力強く気持ちを奮い立たせてくれるものばかりでなく、
  静かにまた人生に立ち向かわせてくれるものもあるのだとそのとき思いました。
 卒業生の皆さんそれぞれが、
 それぞれの「パワー・フレイズ」に出会えることを願ってやみません。

 (後略)
15:04
2017/01/30

福栄中特別授業参観記

| by urayasuminami-h
1/26(木)、市川市立福栄中学校にて、第2学年生徒を対象とした「高校の授業を体験する特別授業」が開催された。これは県教育委員会が実施している「小・中・高連携の特別授業」と福栄中の総合学習の時間で実施している「上級学校調べ」とを融合させての企画で、福栄中学校の校長の発案で実現。高校側からは「小・中・高連携の特別授業」に登録している津田沼高校の国語の先生、行徳高校の社会科の先生、国分高校・市川東高校の数学の先生、市川南高校の化学の先生、国府台高校の生物の先生、そして、本校からは英語の滝口圭太先生にオファーがあり、7名の高校の先生方が授業を展開した。

滝口先生の授業は、英語の4技能(Listening,Reading,Speaking,Writing)を使いながら、英語独特の表現を学ぶというもので、最初は曲当てクイズ。英語の歌詞を読みながら、その曲が日本のなんという曲かを当てるというもの。英語だから、なかなか曲名が分からない。みんな真剣に推理して、中学生の興味・関心は釘づけに。まさに、つかみはOK!そして、正解は夏川りみの「涙そうそう」とドリカムの「LoveLoveLove」。いい音楽を聴きながら、その歌詞の中に出てくる「I wish I could~」という仮定法過去の勉強へ。それも文法についてのこまごまとした説明はなく、ディズニー・キャラクターを使いながら、どんどん書いてしゃべる練習。なるほどこういう風に使うのかとみんな納得!「アクティブ・ラーニング」という今話題の授業を、福栄中の2年生2クラスの生徒は体験できたのでは…?!そんな最先端の授業を毎日受けている浦南生、がんばれ!



17:10
2017/01/12

3学期 始業式講話

| by urayasuminami-h

 皆さん、おはようございます。

 新しい年を迎え、心機一転、気持ちも新たに1年を始めていきましょう。

 

 さて、新たな気持ちでと言いながら、

 いきなり、真逆のような話になって恐縮ですが、

 去年この場で、皆さんに紹介した言葉を、改めて紹介したいと思います。

 もちろん、1年生は初めて聞く言葉です。

  2,3年生、覚えているでしょうか?

 下手くそな英語で紹介した言葉です。

 それは「アメリカン・ビューティ」という映画の中の台詞の1部でした。

 

 1年をスタートする上で、

 また、ちょっとした失敗やしくじりから立ち直るとき、

 元気が出る言葉なので、再度紹介したいと思います。

 「Todayis the first day of the rest of your life.

 意味は「今日という日は、残りの人生で一番はじめの日」でした。

 

 確かに、今日という日は、自分の残りの人生のスタート地点、

 ととらえることができます。

 よく「年の始めに、その年の目標を立てよ」と言われたりしますが、

 何も目標を立てるのは、年の始めと決まっているわけではない、

 思い立ったが吉日、その日がいつだって構わないわけです。

 スタートを切るときの新鮮な気持ちや期待感、

 モチベーションといったものを保つために、

 この言葉は有効だろうと思います。

 

 こんな話をしても、あまりピンとこない人も多いと思います。

 なぜなら、平均寿命からすると、皆さんにはまだまだ時間がたっぷりある上に、

 そもそも人生をリセットして、

 再スタートする必要を感じるような、

 失敗やしくじりをしていないかもしれないからです。

 

 でも、これからの長い人生を考えたとき、

 皆さんは、米倉涼子さん演じるドクターXではないのだから、

 何度かの失敗やしくじりはするだろうと思います。 

 そこから立ち直るためのパワーフレーズの一つとして

 覚えておいてほしいと思うんです。

 2年前の着任以来、折に触れ、皆さんに紹介している 

 「過去と相手は変えられない、変えられるのは自分と将来!」

 というプラス思考のおまじないの言葉も同じです。

 パワーフレーズの候補としてもらえれば幸いです。

 

 そもそも、人間という生き物は、弱く、不安定な生き物です。

 皆さんは、パスカルという科学者の名前を聞いたことがあると思います。

 天気予報で使われる「気圧の単位」でお馴染みかもしれません。

 そのパスカルが今からおよそ400年ほど前にこんな言葉を残しています。

 

 「人間は一本の葦に過ぎない。

  自然の中で最も弱い生き物である。

  だが、それは『考える葦』である。」

 

 どうでしょう?

 聞いたことのある人もいるのではないでしょうか?

 さてこの有名な「考える葦」という言葉について、

 高校時代、ある先生がこんなことを話してくれました。

 

 「パスカルは、この言葉よって、

 『人間は考えることができるから、地球上の他の生物たちよりも優れている』

 ということを言いたかったのではなく、

 むしろ、

 『自然の中で最も弱い生き物である上に、

 さらに、いろいろなことを考えなければならない、

 厄介な運命を背負った生き物なのだ。

 そして、その運命を受け入れて生きていくためには、

 ≪考える力≫を磨くしかない』

 と言いたかったのではないか。」

 というような内容だったと記憶しています。

 

 つまり、人間以外の生き物は、何も考えずに、神様の創ったとおりの生き方をして、

 神様からもらっただけの寿命を全うしてその生涯を終えていけばいい。

 しかし、人間はなまじ「考える力」があるものだから、

 まず、自分の命が永遠ではなく、

 やがて自分が死ぬということを早い段階で知ってしまい、

 その上、何が正しい生き方で、何が正しくない生き方なのかについて、

 絶えず悩みながら、その残りの生涯を終えていかなければならない。

 

 考えてみてください。

 犬が、自分はどこから来て、どこへ行くんだろうかと、

 自分の前世や来世について考えたり、

 猫が、ネズミをとって、無益な殺生をしてしまったと後悔したりしているでしょうか?

  それに比べ人間は、

 考えても、考えても、簡単には答えのでない問題を

 生きている限り考え続けなければならない。

 

 そんな話をその先生から聞いたとき、

 霧が晴れるように世の中の物事が見えてきました。

 よく青年時代に目から鱗が落ちる経験をすると言われますが、

 私の場合は、そのときだったのかもしれません。

 

 たとえば、

 私はキリスト教徒ではありませんが、

 聖書の中にある

 「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。」

 という一節も、すとーんと腑に落ちました。

  つまり、どういうことかと言うと 

 私たち人間が考えるときに使う道具、

 それは言葉です。

 言葉があるから、物事が認識できるんです。

 「りんご」なら「りんご」

 「みかん」なら「みかん」と認識できるんです。

 具体的な形ある物事だけでなく、

 形のない、抽象的な「命」ということや「人生」ということについても

 考えることができるし、伝え合うことも、理解しあうこともできるわけです。

 私たちは、言葉によって、

 物事を認識し、さらに考えを深めていくことができます。

 言葉は意思伝達の道具でもありますが、そんな単純なものではない。

 言葉が貧弱であれば、貧弱な考えしか出てこないし、

 言葉が荒々しければ、荒々しい考えしか出てきません。

 丁寧いな言葉遣いが必要なのは、聞いていて気持ちがいいからではないんです。

 考え方そのものを荒まないようにするためです。

 言葉の持つ力を意識したのもこの時だったかもしれません。

 

 そして、

 人生で迷ったとき、くじけそうになったとき、

 自分の支えとなってくれる言葉をもっているのと、そうでないのとでは、

 全く違う人生になると思います。

 皆さんもそれぞれのパワー・フレーズを見つけてください。

 そんな意味を込めて、繰り返しになりましたが、

 「今日という日は、残りの人生で一番はじめの日」

 という言葉を改めて紹介しました。

 

 2017年、平成29年をぜひとも良い1年にして行きましょう。

 以上です。



17:14
2017/01/12

2学期 終業式講話

| by urayasuminami-h

 皆さん、おはようございます。

 今日で2学期が終わります。

 年度途中ではありますが、今年1年間を振り返って総まとめをする時期となりました。

 

 2学期の総まとめとしては、昨日成績会議がありました。

 各学年、進級・卒業に向けて、心配な生徒が少なからずいました。

 高校生活の1年間、あるいは3年間をマラソンレースに例えるなら、

 今現在は、一番きつい35キロ地点を通過しているあたりでしょうか。

 ここが踏ん張りどころだろうと思います。

  もうここまで来たからには、全員にゴールしてほしいのですが、

 それには、規定の時間内に走り切るという関門をクリアしなければなりません。

 皆さんは、すでに知っているとおり、

 東京マラソンをはじめ市民マラソンでは、一般ランナー用に

 何キロかごとに制限時間が設けられています。

 

 個人的な話で恐縮ですが、

 今年の1月に、野球部員と顧問の先生方と一緒に、

 館山市で行われている「若潮マラソン」のフルマラソンに参加しました。

 20キロ地点までは、規定タイムをクリアして2時間弱で走れたのですが、

 22,3キロあたりから右ひざに違和感が出始め、

 25キロ地点では激しい痛みに襲われ、ピタッと足が止まってしまいました。

 実は以前にもフルマラソンに挑戦したとき、

 同じような経験をしているのですが、またあの時の感覚が蘇ってきました。

 そして、まさにピタッという感じで、走れなくなるんですね。

 この経験をするまでは、マラソンで歩いている人を見ると、

 「なんで歩いてるんだろう?」

 「ジョギング程度でも、走れないのかなあ。」と、

 不思議に思うと同時に、非難めいた気持ちを持ったものですが、

 いざ自分が経験してみると、本当に歩くので精一杯なんですね。

 それ以降、残りの20キロ弱は、

 ひざをだましだまし、走っては歩き、歩いては走りの繰り返しで、

 最後の5キロは、ただ足を引きずって歩くだけでした。

 大会規定では、6時間以内にゴールしなければなりません。

 そして、ゴールできなければ、

 途中棄権者用のバスに収容され、失格となってしまいます。

 

 結果はどうだったかというと、

 35キロの最後の関門をなんとかクリアしたものの、

 あとは時間との戦いでした。

 棄権者用の収容バスがすぐ後ろに迫って来る中、

 なんと、5時間55分というぎりぎりの、

 本当にぎりぎりのタイムでゴールすることができました。

 ゴールした時の心境は、まずは時間内にゴールできて良かったと

 ホッと胸を撫で下ろしたのですが、

 人間とは欲深いもので、

 ゴールできたらできたで、もっといいタイムでゴールしたかったという、

 くやしさも出てきました。

 

 しかし、正直にいいます。

 レース中何度か、

 最後の時間との戦いの中、

 一度や二度ではありません、

 途中棄権を選択する誘惑が頭の隅をかすめました。

 「ここでやめたら楽だろうな」、

 「もうこの辺でいいんじゃないか」、

 というささやきが、本当に聞こえてくるんですね。

 そして、その声になびいて、途中棄権を選択しようとする自分がいることを

 はっきり意識しました。

 レベルがとても低い話で恐縮ですが、

 人間、本当に苦しいときというのは、

 最後はまさに自分との闘いになるんだなあ、

 ということをしみじみと実感した大会でした。

 

 さて、話を元に戻して、

 このことで何を皆さんに伝えたいかというと、

 今、例に挙げた「若潮マラソン」では、最終完走タイムは6時間以内でした。

 「東京マラソン」では7時間以内です。

 それぞれの大会によって、その規定は異なりますが、

 市民マラソンに参加する以上、

その大会のルールに従わなければならいということです。

 皆さんは、言ってみれば、浦安南高校の1年間ないし3年間という

 マラソンレースに、自らの意志で、参加した市民ランナーです。

 参加した以上は、大会規定のもと、完走を目指してスタートを切ったはずです。

 急なケガや故障、体調不良で途中棄権もありですが、

 走り続けなければゴールは見えてきません。

 さらに、レース途中の制限時間のルールは、

 ちょうど卒業単位87のうち、

81単位までは修得しなければならないというルールや、

 必履修科目は絶対に欠時数オーバーになってはならないというルールと同じです。

 詳しい説明は、担任の先生からすでに受けていると思いますから、

 ここでは触れませんが、もう一度皆さんは、今の自分が置かれている状況を確認し、

 失格にならず、ゴールするために何をしなければならないのか、

 担任の先生や教科の先生の指示に従い、

 最後の踏ん張りを見せてください。

 

 苦しくなると弱い自分が出てくるのは、誰でも同じです。

 私も同じでした。

 苦しいのは、分かります。

 でも、だからといって、誰かに体を引っ張ってもらって走ることも、

 ショートカット(近道)をすることもできないんです。

 最後まで、決められた距離を、自分の力で走り切るしかないんです。

 

 中学校までと違うのは、この点です。

 別の言い方をすれば、自立した社会人、大人になるためのハードルです。

 高い、低いの感じ方は個人差があるかもしれませんが、

 今の浦安南高校の大会参加規程で、用意されたハードルです。

 先輩方もこれをクリアしていきました。

 

 ゴールは目の前まで来ています。

 本当に残りわずかとなりましたが、最後まで気を緩めず、

 進級・卒業に向けてがんばってください。

 そして、それと同時にそれぞれの次のステージへの準備もしっかり進めてください。

 来るべき2017年、平成29年が、

皆さんにとって飛躍の年となることを祈念します。

そして、またあの感動の卒業式を迎えましょう。以上です。    



17:11
2016/12/20

生徒会役員認証式講評

| by urayasuminami-h
 只今新生徒会役員、8名に認証書を渡しました。
 12月5日に行われた立会演説会、
 そしてその後の投票で全員が信任され、
 生徒会の活動をスタートしてくれています。

 まずは、8名の新役員の皆さんに敬意を表します。
 なぜならば、皆さんはこれから浦安南高校の代表として、
 校内・校外を問わず、様々な活動に参加して行きます。
 常に本校生徒の代表という重圧がついて回ることと思います。
 しかし、敢えてその大変さを背負って、
 生徒会役員になろうと決意した皆さんだからです。

 8名それぞれに立候補した理由は違っても、
 8名に共通するものは、
 「チャレンジ精神」と、「奉仕の精神」だろうと思います。
 つまり、自分の可能性を試したい、という気持ち、
 そして、人のために何かやってみたいという気持ちではないかと思います。

 特に、二つ目の「人のために何かしたい」
 「誰かのために役立ちたい」という気持ちは、
 将来の仕事、職業にもつながていきます。
 以前にもお話ししましたが、
 仕事とは、直接・間接にかかわらず、
 自分のしたことが、少なからず社会に貢献している、
 誰かの役に立っている、ということが根底にあります。

 もちろん、仕事とは、生きていくためにお金を稼ぐ手段です。
 手段ではありますが、お金を稼ぐことだけが、目的ではありません。
 それだけが目的だとしたら、
 あるいは、他人を不幸にしてでもお金を儲けようというのであれば、
 私たちはその仕事を頑張り続けることはできません。
 お金のためだけでなく、誰かの笑顔のために、
 それは家族かもしれないし、不特定多数の誰かかもしれないけれど、
 その誰かの笑顔をイメージできた時、
 私たちはその仕事を頑張り続けられるのではないでしょうか?!
 それが、仕事であり、人としての生き方の基本だろうと思います。

 もっというならば、先日行われた道徳講演会で、今西乃子さんが、
 こんな問いかけをしたのを、皆さんは覚えているでしょうか?
 「今の自分は好きですか?」
 「どんな自分が好きですか?」と。
 そして、「自分のことを好きと言える生き方をすることが、
 幸福につながるんですよ」と、今西さんは話してくれました。
 また、こうも皆さんに問いかけていました。
 「他人を困らせたり、傷つけたりする生き方を選ぶんですか?」
 「それとも、誰かを笑顔にする生き方を選ぶんですか?」と。
 
 つまり、何を皆さん伝えたいかというと、
 生徒会役員の皆さんは、
 「人のために頑張る生き方を選んだんだ」ということです。
 じゃあ、生徒会に立候補しなかった一般生徒の皆さんは、
 その生き方を選ばなかったのか?!というと、
 そんなことはありません。
 一般生徒の皆さんは、
 自分たちで信任した生徒会役員に協力していくことで、
 その生き方を選ぶことになります。

 一番選んではいけない生き方、
 それは「俺には(私には)、関係ないね!」
 という無関心でいる生き方です。
 これから生徒会からいろいろな呼びかけや提案があると思います。
 それらに対して、無関心でいること、無視することは、
 自分を好きになることも、幸福を感じることもできない
 生き方を選択することになります。

 一般生徒の皆さん、
 皆さんは、皆さんのために、ひいては学校のために、
 頑張ろうとする8名の代表生徒をしっかりとサポートしながら、
 生徒会行事や学校行事に取り組んでいってほしいと思います。
 そのことで、自分を好きになることもでき、
 生きる上での自信にもつながっていくと思います。
 今後も本校生徒会活動が、役員生徒と一般生徒の連携・協力よって、
 ますます盛んになっていくことを期待して、認証式の講評とします。
10:52
2016/09/01

平成28年度 第2学期 始業式講話

| by master

 
 皆さん、おはようございます。
 いよいよ今日から2学期が始まりました。
 夏休みモードから学校モードへのスイッチの切り替えをお願いします。

 さて、2学期の始業式にあたり、2点確認して置きたいと思います。
 1点目は、くどいようですが、
 1学期の終業式の時にお話した「プラス思考」「未来志向」のおまじないの言葉です。
 思い出してください。
 さあ、皆さんご一緒に。「過去と相手は…?」(変えられない。)
 「変えられるのは…?」(自分と将来!)
 そのためにはまず行動を起こすことでした。
 今できる小さなことから始めることを、「スモール・ステップ」といいました。
 たとえば、焦る気持ちから、イライラして落ち着かなかったら、
 とりあえず気分転換に散歩に出てみる。
 あるいは、とりあえずお茶やコーヒーを入れて飲んでみる。
 そんな小さな行動でも、現状改善のための第1歩を踏み出してみることです。
 「過去と相手は変えられない。変えられるのは自分と将来!」です。
 忘れないでください。

 2点目です。昨年も、ちょうどこの夏休み明けにお話したことと重なります。
 それは「学校生活の安全・安心」についてです。
 この夏休み、凄惨な殺人事件や傷害事件、中高生の自殺などが多発しました。
 そのひとつに、皆さんと同世代の16歳の少年が
 埼玉県の河川敷で殺害されるという事件がありました。
 新聞報道等によれば、被害者の少年は、中学生を含む複数人の少年たちによって
 1時間以上に及ぶ暴行を受け、最後はけいれんを起こし動けなくなったところを
 川に顔を沈められ、溺死させられるという、非常に残酷な殺害のされ方をしています。
 さらに容疑者の少年たちは遺体を河川敷にそのまま放置して逃走し、
 SNSを使ってアリバイ工作をしていたともありました。
 すぐに昨年の2月に起きた川崎の中学1年生殺害事件を思い出した人もいたと思います。
 あれから2年も経たないうちに同じような事件がまた起きてしまいました。

 ちょっと視点を変えますが、江戸時代、会津藩(今の福島県の会津地方)の
 武士の子どもたちの生活ルールに「什の掟」というのがありました。
 どこかで聞いたことのある人もいるのではないでしょうか。
 「什」というのは、数字の「十」ではなくて、
 会津藩内の地域、地域の子どもたちの集まりを「什」と言ったそうです。
 その仲間集団「什」によって多少違いがあるようですが、
 この「什の掟」は7項目からできています。
 その掟の最後には「ならぬものはならぬものです」という言葉があって、
 今風にいえば「ダメなものはダメです」という言葉で締めくくられています。
 ダメなものはダメなんだから、屁理屈や言い訳は一切通用しませんよと強く戒めています。
 さて、その7つある掟の中に
 「一、卑怯な振舞いをしてはなりませぬ」という項目があります。
 「卑怯」という言葉は最近はあまり聞かれなくなった言葉ですが、
 まさに大勢で一人をなぶるという行為は、「卑怯」という言葉がぴったりの行為です。
 「卑怯」とは、やり方や心の持ち方がずるいとか、汚いという意味で使われていますが、
 古くから私たち日本人の道徳心の中には、
 この「卑怯」な行為をしないというのが大きなウェイトを占めてきました。
 したがって、「卑怯者!」というののしりの言葉を受けることは、
 最も屈辱的なことであり、
 「卑怯者」と言われないような振舞いを、いつも心がけることが、
 武士としての、人としての大切な行動規準でした。
 さらに「什の掟」では、はっきり
 「一、弱い者をいじめてはなりませぬ。」という項目も、その次に載っています。
 「卑怯な振舞い」の中でも、取り立てて「弱い者いじめ」を禁止しています。

 さて、ここで皆さんに考えてもらいたいことは、
 力の強い者たちが複数で、ひとりの弱い者を寄ってたかっていじめるということは
 してならないことだ、と誰ものが分かっているはずなのに、
 これが実際は、なかなかなくならない。
 なっくならないどころか、どんどんエスカレートして今回のような凄惨な事件が起きている。
 それは、なぜなのか? ということです。
 さらに、その対処方法はないのか? ということです。
 誤解をおそれず、正直に自分自身のことを振り返ってカミングアウトします。
 いじめはなくならないと思っています。
 より正確にいうならば、私たち人間が集団を作って生活している限り、
 人の命を奪うような悪質なものは別として、
 いじめ的な行為を0にするということはできないと考えています。
 実際私自身小学校の頃、上履きを隠されたり、
 意味深な目配せや仲間ずれという、いじめを受けました。
 今から40数年前のことですが、はっきり覚えています。
 中学校に入って、学年、クラスの中に
 もっと露骨な嫌がらせやいじめを受けていた人たちがいました。
 私は小学校時代のいじめられた経験からいじめる側には回らなかったけれども、
 そのいじめを解決することはできなかったし、
 その子たちと普通に接することで
 「さすが、優等生は違うよな」と嫌味を言われるようなこともあって、
 いじめられている子たちの立場になって考え、行動することもできませんでした。
 さすがに高校生になるといじめという理屈に合わない不条理な行為はなくなりましたが、
 それが私の偽らざるいじめ経験です。
 私の個人的な考えですが、小学校高学年から中学校にかけての思春期は、
 心と体の発達が急激で、バランスを欠いてしまい、
 周囲の人たちから認めてもらいたいという社会的承認欲求や
 独占欲、あるいは嫉妬心などが強くなり、
 理性で行動を抑えるよりも、
 そうした感情に強く流されて、
 いじめ的行為は発生してしまうのではないか、と考えます。
 従って、誰もが通る子どもから大人になる過程での出来事として、
 いじめはなくならないと考えるわけです。

 そう考えてみると、「什の掟」が、「卑怯な振舞いはしてはいけないよ」とか
 「弱い者いじめはしてはいけないよ」とことさらに戒めてきたのは、
 人間は、特に子どものころというのは、放っておけば、卑怯なこともしてしまうし、
 弱い者いじめをしてしまうものだということの裏返しの証明でもあるわけです。
 考えてみれば、もっともな話、必要がなければ、
 敢えて掟やルールをつくることはないわけです。
 起こり得るからこそ戒めているわけです。
 まず人間とは誰もがそうした不安定で危っかしい生き物だという自覚を持つこと、
 そして、その自覚をもとに理性に従った行動をとるよう常に心かけることが大切です。
 理性とは人間だけが持つ能力です。
 欲求や欲望に負けない、理に叶った冷静な判断力です。
 いじめの場合でいえば、
 どんなにむかつても「これ以上はやり過ぎ、やめよう(やめさせよう)」とか
 「もう自分たちでは解決できないから、信頼できる大人に相談するしかない」
 といった判断をし、実際に行動に移せる力が理性です。
 理性を働かせてください。
 それが、このようないじめや悲惨な傷害事件、殺害事件を起こさせない
 対処方法のひとつだろうと思います。
 かつての私がそうだったように
 一度始まってしまったいじめは、
 子どもたちの手だけで解決できない場合がほとんどです。
 大人の力を借りることです。
 大人の手を借りて「早期発見・早期対応」に努めるしかありません、
 取り返しのつかないことになる前に。
 もし、心配ごとのある人は勇気を持って近くの信頼できる大人に相談してください。
 一番は担任の先生になるかと思いますが、
 内容によっては、相談しやすい先生に声をかけてください。
 「一人で悩まないこと」
 「見て見ぬふりはしないこと」をお願いします。
 進級も卒業も、進路決定も二の次です。
 まずは「学校生活の安全・安心」が最優先課題です。
 命はひとつだけです。
 こればかりは、繰り返しややり直しはできません。
 このことを確認して、2学期をスタートして行きましょう。

                                   


10:34
2016/07/20

平成28年度 第1学期 終業式講話

| by master

 生徒の皆さん、おはようございます。

 今、学期皆勤者の表彰をしました。
 1年生26名、2年生18名、3年生19名。
 改めて63名の皆さん、よく頑張りました。
 おそらく、ここにいるすべての皆さんが、社会に出て一番に期待されることは、
 休まず、時間を守って、任された仕事に取り組むことだろうと思います。
 その意味では、皆勤者の皆さんは、
 すでに世の中の信頼を手に入れていることになります。
 信頼されてこそ、やりがいのある仕事も任されます。
 信頼されてこそ、やる気も出ます。
 信頼を手に入れる一番の近道は、
 基本的な生活習慣を身につけることかもしれません。


 さて、私には、もうひとつ校長として表彰したい人たちがいます。
 それは3年間、部活動をやり通した人たちです。
 現3年生の中に、野球部、サッカー部、バスケ部、剣道部、バレーボール部、
 対外試合こそなかったものの空手部、
 文化系では、吹奏楽部、軽音楽部やダンス部、漫画研究部や鉄道同好会にも、
 3年間頑張った人たちがいます。
 ひとつのことをやり通すことも、なかなか難しいことです。
 それが達成できた人は、もっと自分に自信を持っていいと思います。
 皆勤賞と同じくらい価値があるものです。
 就職試験や入学試験のときの自己アピールにぜひ使ってください。
 
 そして、もうひとつ部活動に関連することですが、
 今年の野球応援は本当にすばらしいものがありました。
 例年になく総勢40人以上の大応援団が組織されました。
 その中には部活動で頑張っている人もたくさんいて、
 競技は違っても、頑張る仲間を応援したいという気持ちをもって
 参加してくれたことに、感動しました。
 応援団長、元剣道部キャプテン、井手くんのエールの交換、立派でした。
 結果は、去年のような勝利には結び付かなかったけれど、
 野球部をはじめ、多くの部活動参加者に元気を与えてくれた応援だったと思います。 
 暑い中、頑張ってくれた人たち、本当にどうもありがとう。
 
 さて、ここまでは1学期の良かった点です。
 しかし、1学期の終業式にあたり、
 皆さんにとって、耳の痛い話もしなければなりません。
 これは、私の個人的な印象かもしれませんが、
 今年の1学期は、去年の1学期に比べ、
 新年度・新学年への切り替えのできていない生徒が
 目立った1学期ではなかったか、というものです。
 もちろん、その切り替えができいて、
 上手にスタートが切れた人もたくさんいます。
 しかし、特に1、2年生の中に、その切り替えができいない人がいて、
 今後の学校生活が大変心配されます。
 6月中旬からすべての学年、すべてのクラスの授業を見せてもらいましたが、
 残念ながらそのような印象を強く持ちました。


 具体的には、学校のはじまりへの取組、
 毎時間の授業のはじまりへの取組ができておらず、
 遅刻することが当たり前のようになってしまっている人。
 机の上に携帯電話や飲み物、その他授業に関係のないものが
 置かれたまま授業を受けている人。
 そのことを、先生方が注意しても、なかなか素直に直せない人。
 そして、一番心配されるのは、
 中間考査、期末考査を、正当な理由なく受けていない科目がある人です。

 当然、そういう人たちのところには保護者面談、三者面談の連絡があります。
 1学期の反省をしっかりした上で、2学期に臨んでください。
 3年生は、進路の最終決断の時です。
 より慎重に、真剣に1学期の取組を振り返り、
 足りなかった点は補って、2学期につなげましょう。
 1,2年生、特に1年生には、少し厳しい言い方になりますが、
 中学生から高校生への切り替えができていないまま1学期を終えてしまった人、
 それなりの覚悟と決断をもって2学期に臨んでもらわなければなりません。

 小学生でも知っている道理です。
 東から昇る太陽は、西からは昇ってこないんです。
 それと同じで、努力なくして進級はあり得ません。
 こんな厳しい話をしなけばならいのは残念ですが、
 それが1学期の実際のところだろうと思います。


 そこで、2,3年生には昨年度からの繰り返しになりますが、
 プラス思考のおまじないについて、改めてお話したいと思います。
 ネガティブな気持ち、マイナス思考からは、悪い結果しか生まれません。
 生きていれば、いいこと、悪いことが繰り返しやってきます。
 特に悪い状態、谷間に陥った時、ネガティブな気持ちになるのは当然です。
 しかし、そこから、どうやってポジティブな気持ちに切り替えていくか。
 そのヒントとなるおまじないの言葉を、2、3年生には昨年お話しました。
 さて、何だったでしょうか?
 2,3年生、覚えている人、一緒に声に出して言ってみてください。

 「過去と相手は変えられない。変えられるのは自分と将来!」

 でした。

 起きてしまった出来事、取ってしまった成績は変えられません。
 また、うまくいかない原因を、かかわりのある誰かのせいや相手のせいにしても
 現状は何も変わりません。
 だったら、今の現状を少しでも良い方向に変えることができる
 「未来志向」をしようというものです。
 確かに過去は変えられないけれども、
 これから起きるであろう未来のことは、
 今のままと決まっているわけではありません。
 努力次第で、良い方向に変えることはできるはずです。
 同様に、自分の障害となっている誰かの存在を
 自分の都合のいいように変えることはできないけれども、
 自分が変わることで事態を好転させるきっかけが見つかるかもしれない。
 そうした「未来志向」「プラス思考」をする言葉が、
 「過去と相手は変えられない。変えられるのは自分と将来!」です。
 
 実は、このおまじないの言葉は、
 多くの一流スポーツ選手たちがスランプに陥ったとき、
 自分自身に語りかかけている言葉です。
 あのイチロウ選手も、松井秀樹選手も、本田圭介選手もみんな知っている言葉です。
 自分自身でメンタル・トレーニングすることを、「セルフ・コーチング」と言います。
 一流選手は、なぜ一流のパフォーマンスを続けられるのか。
 それは、スランプに陥っても、「セルフ・コーチング」で、
 つまり、「プラス思考」で、自分のメンタルをコントロールしているからです。


 まずは、自分自身が変わること。
 大きな変化ではなく、小さな変化から始めましょう。
 今できることから行動に移すことです。
 これを「スモール・ステップ」と言います。
 まずは「スモール・ステップ」を起こしましょう。
 起こさなければ、何も変わりません。
 このことをしっかり意識して、
 2学期、今度こそ切り替えをしっかり行って、
 新学期のスタートを切っていってください。


 それでは、9月1日、元気にまたこの体育館に集合しましよう。


 


09:49
2016/06/16

6/14芸術鑑賞会校長挨拶

| by master

 生徒の皆さん、おはようございます。

 いつもですと芸術の秋にふさわしい11月に実施している芸術鑑賞会ですが、
 今年は例年お借りしているこの浦安市文化会館の改築工事に伴い、
 6月の実施となりました。

 まずは、本校の芸術鑑賞会に御出演を快諾いただいたマルタ様はじめ演奏者の皆さま、
 また総務部の先生方を中心に準備に当たられた先生方、
 そして、本会場のスタッフの皆さまに心より感謝申し上げます。
 どうもありがとうございました。
 
 さて、昨年はパフォーマンス集団「THE NEWSPAPER」による、
 ちょっと辛口な時事ネタや政治家のパロディなど、笑いを中心に大いに楽しみましたが、
 今年は世界的にも著名なサキイスホ-ン奏者である
 マルタさんの演奏を生で聴くことができる大変貴重な機会です。
 ご来場の保護者の皆様も
 大いに期待しているステージではないかと思います。

 さて、生徒の皆さん、昨年もこの場でお話しましたが、今日は学校を離れての行事です。
 こうした公共の場所をお借りしていることを少し意識してください。
 学校を離れての機会こそ大切にしてほしいと思います。
 皆さんは、ずっと学校にはいられません。
 3年生は1年足らずで社会にでていきます。
 1年生も3年足らずで社会にでて、自立しなければならない。
 そのことを考えれば、
 こうした機会は、社会人としての振る舞いを学習する
 大変いい機会です。

 自立した社会人になるための第1歩は、
 時・場所・場合を考えて行動することができることです。
 今自分はどこにいるのか、
 何をするときなのか、
 こうした場合はどんなことに注意しなければならないのか、
 など、しっかりと時・場所・場合を考えて、
 自分の行動を決めてください。

 くれぐれも学校にいる時の休み時間と同じということがないようにしましょう。
 
 そして、もうひとつ、自立した社会人になるための基礎・基本。
 3年生は答えられると思いますが、
 さて、何だったでしょうか?

 「挨拶・返事・後始末」です。
 ここでは、三番目の「後始末」しっかりお願いします。
 ただし、ステージ鑑賞にあっては、あまりに堅苦しく考えないでください。
 演奏者の方も、大いに観客である皆さんの反応が気になるところだろうと思います。
 素晴らしいと感じた場面では大きな拍手で盛り上がりましょう。
 感じたままの素直なリアクションが、観客としてのマナーかもしれません。

 それではこれから始まる90分のステージ、みんなで大いに楽しみましょう。
15:27
2016/04/07

第33回入学式式辞(抜粋)

| by master

 (前略)
 
 さて、只今入学許可をした160名の新入生の皆さん、入学おめでとう!
 本校への入学を心から歓迎し、祝福します。
 本校は一昨年度創立30周年記念式典を終え、
 33回目の入学生として皆さんを迎えることとなりました。
 本校で高校生活を始めるに当たり、
 ぜひこれだけは意識しておいてほしいと思うことをお話します。


 それは、本校の教育の最終目標についてです。
 本校の教育目標は創立以来次の3つが掲げられています。
  1、物事に「誠実」に対処する人間の育成
  1、自ら考え、正しく行動できる人間の育成
  1、個性に応じて自己の進路を決定し、生きがいのある自己実現を図れる人間の育成
 となっています。

 
 しかし、これらを分かりやすく一言でいうならば、
 「世の中に出た時に通用する人間になる」ということです。
 「世の中で通用する」とは、どういうことか、
 さらに具体的にいうならば、
 「周りの人とトラブルを起こさず、
 上手に付き合っていけるコミュニケーション力や常識・マナー、 
 そして、仕事をする上で欠かせない最低限の基礎学力を身につけている」
 ということです。


 特に人間関係づくりで大切なコミュニケーションの基本とはなんでしょう?
 そうです、挨拶です。
 いい挨拶ができれば、いい人間関係につながっていきます。
 ではさらに、いい人間関係をつくるために欠かせないものとは何でしょうか?
 いろいろ考えられると思いますが、
 古代中国の思想家「孔子」という人は、思いやりの心であるとしました。
 その思いやりの心のことを漢字一文字で「仁」と表わしました。
 そして、この「仁」という思いやりの心が形となって現れたものを「礼」としました。
 この「孔子」の考え方に強く影響を受けた私たち日本人は、
 「礼儀」をとても重んずるようになり、
 世界でも珍しいルールを守る、礼儀正しい国民と称えられています。

 その「礼儀」のひとつは、身だしなみです。
 身だしなみが悪いということは、
 相手への思いやりの心を欠くということに外なりません。
 思いやりがないのに、いい人間関係などつくることはできません。
 したがって、人は見た目ではないとよく言われますが、
 実は実社会では見た目が大事なのです。
 本校ではしっかりと挨拶や身だしなみ、
 言葉遣いについても指導します。

 それは、皆さんが世の中に出たときに
 困らないようなってほしいというのが、
 本校の最終的な教育目標であるからです。
 ルールを守り、礼儀を重んじること、
 すべては良好な人間関係をつくるためです。
 そのためには自己主張ばかりするのではなく、
 我慢することも必要となります。

 新入生の皆さん、
 皆さんはそのことをしっかりと意識して
 明日からの本校での高校生活をスタートして行ってください。

 (後略)


12:31
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