更新履歴(R2)

【4月8日】
 ・新年度トップページを作成。
 ・緊急のお知らせ(新型コロナウィルス感染症関連)を引き続き掲載。
 ・「臨時休校中の生活について」を新設。
【4月10日】
 ・校長室だより(新年度)を作成。
 ・校長室だより 特別動画版を新設。
【4月21日】
 ・「臨時休校中課題のお知らせ」を新設。
 ・「スクールカウンセラーからのお知らせ」を新設。
【4月22日】
 ・「教育相談係より」を新設。
【4月24日】
 ・「外国にルーツがある生徒と保護者の皆さんへ」を新設。
 ・生徒用ページ「課題等」「休校課題一覧」を新設。
【7月21日】
 ・「行事日程変更のお知らせ」を新設。
【7月28日】
 ・「その他のお知らせ」を「保健関係のお知らせ」に改題。
【7月30日】
 ・「臨時休校中課題のお知らせ」を削除。
 ・「臨時休校中の生活について」を「各種相談窓口」に改題。
 ・「学校案内のお知らせ」を新設。
 

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校長挨拶

 

日誌

校長室だより2019
2020/03/09

保護者様へ(卒業によせて)

| by urayasuminami-h
 保護者の皆さまへ御挨拶申し挙げます。
 本来なら、とりわけ保護者の皆さまに、卒業生のこの旅立ちを、暖かい慈愛に満ちた目で見守っていただきたいと心から思っておりました。入学前までも、そして入学後、この卒業まで、本当にさまざまな状況の中、お子様の本校での修学やこれまでの18年間の子育てに御尽力を賜りました。だからこそ、保護者の皆さまにお見せすべき卒業式と思っておりました。保護者の皆様の御臨席が叶わなかったこと、併せて、その御連絡が滞りましたことについて、まずもってお詫び申し上げます。
 さて、先日行いました学校評価アンケートである保護者の方から、「中学の時に進路に悩みながら浦安南高校に入学させました。入学後は遅刻や欠席もせず、本当に楽しそうに毎日学校に通っていて、浦安南高校に入学させて心からよかったと思いました。」とのコメントをいただきました。もちろん、至らぬ点も多々あり、すべての方々が100%満足するということにはならなかったかもしれません。ただ、こうしたお声をいただいたり、年々、お子様の様子から、高校生活が充実していると感じられる保護者の方々が増えてきているデータに触れたりする度に、教職員一同、とても励まされ、大きな糧となっております。これまで本校の教育活動に対しまして、御理解と御協力を賜りましたこと、心より感謝を申し上げます。また、親として保護者として立派にお子様を育て上げられてきたことに敬意を表すとともに、改めましてお子様の御卒業を心からお祝い申し上げます。
10:14
2020/03/09

令和元年度 第34回卒業証書授与式式辞

| by urayasuminami-h
 ここ浦安高洲の海風にも確かな春の香りを感じるこの佳き日に、本校第34回卒業証書授与式を挙行できますことは、教職員一同、この上ない喜びであります。
 ただいま、卒業証書を授与しました108名の卒業生の皆さん、御卒業、誠におめでとうございます。本校での三年間で皆さんが積み重ねた努力や弛まぬ姿勢には、敬意を表したいと思います。蛍雪の功なり本日を迎えられたこと、心からお祝い申し上げます。
 さて、昨今の予期せぬウィルスの襲来の中、例年とは違う形で卒業式を行わざるを得ませんでした。かけがえのない卒業式の場をいかにして設定できるか、また一方でいかにして健康を保持しうるか、先生方とかなりの時間、悩み抜いて、この卒業式を企画しました。卒業していく皆さんの晴れの姿を一目見たいと望んでいた御来賓の方々に来校していただきたかった。また先輩である皆さんを心から祝福したいと思っていた在校生の皆さんにも出席して欲しかった。そして、とりわけ、誰よりも皆さんを慈しみ、皆さんをここまで手塩にかけて育ててくださった保護者の方々には、ほんとうに御臨席して欲しかった。心からお見せしたいと願っていました。結果的に、この形で式を行うこととしましたことは、誠に申しわけなく、校長としてつらい決断となり、まさに断腸の思いでいっぱいです。しかし、皆さんの卒業式は仕方なくこの形にしたのではありません。今の状況下で、本校らしく最もふさわしく、精一杯の最高の式にしようと思っています。この卒業を祝い、本校を巣立つ皆さんの前途を心から期待していることについては、これまでと同様、いや、これまで以上の思いを持って職員一同この卒業式に臨んでいます。どうぞ、卒業生の皆さんは、顔を上げ、堂々と胸を張って、これからの人生に向けて歩み出してください。
 人は生きて生活をしていると、様々に思い通りにならないことに出くわします。今回のような感染症についてもそうですが、今年度は度重なる自然災害もありました。こうした災難にはいつ遭うかわかりませんが、思い通りにはいきません。思い通りにならないことは他にもまだあります。例えば自分が生まれてくることも思い通りにはいきませんし、子は親を選べません。人は生まれてくるところから、思い通りににはならない運命にあるように思います。病気にしてもそうでしょうし、人と出会うことや別れることもまた然りかもしれません。このように思い通りにならないもの、それを「苦」といいます。そう、苦労の「苦」です。もともとは仏教のことばです。「宿題を仕上げるのに四苦八苦した」などと使う「四苦八苦」は仏教用語です。こうした思い通りにならないこと、避けがたいことに出会ったときに、どう対応するか、その対応の仕方で、その人の人生の価値が決まるともいえるでしょう。この世に生まれ、日々を重ねつつ年をとっていくなかで、どう生きるか、どう老いるか、出会いたくない物事に出会ってしまったらどう対応するか、人間が生きるということは、日々、こうした「苦」への対応の連続なのかもしれません。卒業生の皆さんのこれからの生活は、人それぞれに様々ですが、こうした「苦」と向き合うことは誰にでも課せられていることなのです。当然、戸惑ったり、悩んだりすることもあるでしょう。少しでもその時に自らが判断し決断する心の拠り所になることは、できる限り多くのことを知ること、知っておくことです。「嫌い」とか「面倒だ」とか思うかもしれませんが、これから皆さんが遭遇する未知の「苦」に対応をしなければならないとき、知っておくことを増やすことで、確実に選択の引き出しが増え、より豊かな判断を導き、苦労を減らしてくれるはずです。情報を増やし、「知」を増やすというこの「学び」の姿勢を忘れずに日々を紡いでいって欲しい。現在、難局にある中、私からこの学び舎を巣立つ卒業生の皆さんへの餞の言葉とします。
 終わりにあたり、卒業生の皆さんの前途に輝ける幸が多からんことをお祈りし、式辞といたします。

令和2年3月5日

                                                         
千葉県立浦安南高等学校
                                                          校 長 勝 田 幸 裕

10:12
2020/01/07

令和元年度 第3学期始業式 式辞

| by urayasuminami-h
 2学期の終業式に続いて、放送での式辞となるが、勘弁して聞いて欲しい。
 新年おめでとう。お年玉はたくさん貰っただろうか?もう高校生だからお年玉など貰わないという人も多いかな。今日は、年の初めでもあり、少し立ち止まって、人としていかに生きるかの話をしたい。
 お年玉のもともとは、子供が親からお餅をもらう習慣から変化したものらしい。正月のお餅にはその年の神様が宿るとされ、その餅を親が子に渡して食べることで1年の健康や幸せを願ったとされる。時代の変化とともに親が渡すものが餅からお金になったという。
 ところで、このお年玉は、貰うと確かにうれしいものだ。しかし、実は、このお年玉を与えるのもうれしいものなのだ。子や孫にお年玉をあげるときの親や、おじいちゃん、おばあちゃんの顔を思い出して欲しい。うれしそうだっただろう。嫌々ながらとか怒りながらお年玉を渡すことはないのだ。皆さんも大人になってお年玉をあげることを想像してみるとよい。このことは、とても大切な人の気持ちを物語っている。ここが大事なところだ。物にしても心にしても、貰うのも嬉しいが、与えるのも嬉しいものなのだ。
 思い出してみて欲しい。昨年の台風や大雨で大きな被害が出たときに、数多くのボランティアさんがいたことを。本校でも実際、1日だけだったが、私も教頭先生、事務長先生、事務の宮地さんと災害対応で学校に宿泊した。皆さんの今いる教室のほとんどは、窓から真ん中くらいまで、サッシの隙間から否応なしに吹き上げてくる雨水に覆われていた。3年4組は窓ガラスが木っ端みじんに吹き飛んでいた。翌朝、嵐は過ぎ去った。休日だったが、何人かの先生が、朝早くに食事の差し入れを持って学校に来てくれたり、かたづけをしてくれたりしてくれた。それぞれ、自分の生活ややらなければならないこともあったろうに、自分の時間を使い、自ら仕事を引き受けたり、労をねぎらってくれたりした。こうした行動は、されるほうもするほうも幸せになる。充実した気持ちになる。
 ここで注意しなければならないことは、自己犠牲を強いることが幸せになるということではないということだ。そんなことでは、犠牲そのものが増え、疲弊し、長く続くことができない。皆さんに是非考えて欲しいことは、この先、世の中に出たとき、自分が生きる価値というものを自分中心の側に置くのではなく、だからといって自己犠牲を強いるだけの側に立つのでもなく、自分もよかった、相手もよかったと喜んでいけるような、いわゆる「WINWIN」の状態をつくれるような選択肢を考えて欲しいということだ。両方の条件を満たすことは困難かもしれない。お互いに、必要とするものを考え、必要とされるものを考えていくという気持ちを持ち続ければ、きっと道が開けると思う。実は、この「お互いに」の精神を学ぶために、「学校」は存在すると私は思う。そして、選択肢を数多くするために、その「知恵」をつけるために勉強をするのだと思う。
 今年は、いよいよオリンピック・パラリンピックが日本で開催される年だ。数多くの外国からのゲストも来る。皆、戸惑い、惑い、困る場面も想定できる。お互いに幸せな気持ちになれるように、皆さんができること、皆さんだからできることがきっとあると思う。是非、考え、実行していこう。
 「正月は冥土の旅の一里塚」と一休さんが言ったという。ちょっと立ち止まってみて、生きる方位を見定めていくことも必要と思い、この話を3学期の始業式の式辞とした。短くて慌ただしい3学期だが、しっかりと皆さんが成長することを期待している。
17:48
2019/12/23

令和元年度 第2学期終業式 式辞

| by urayasuminami-h
 今日は体育館の改修工事のため、放送室から皆さんへ話をすることになった。
 最初は、賞状伝達ができないため、ここで、私から受賞者を紹介したい。
 まずは、2学期の皆勤者については、人数が多いので、各教室で賞状を授与していただくこととした。中だるみをしがちな2学期に皆勤を立派にやり遂げたということは、それだけでも十分に立派であり、価値がある。おめでとう。
 続いて、賞状伝達である。
 二つの書道展での受賞が報告されている。
 絵にしても書にしても、芸術は才能のある人間が、その場でちゃちゃっと作成してできあがるものと思うかもしれないが、実際は全く違う。世の中の人の前に出すまでに相当の努力がないと完成に行き着かない。その努力があるから、人は感銘を受ける。受賞した皆さんに心から敬意を表し、祝福したいと思う。
 さて、終業式の話をする。こうして放送で話をしているが、私の声はしっかりと届いているだろうか。とても心配になる。というのも、今、私の前には無機質なマイクしかなく、皆さんの顔つきや聞いている姿勢など皆さんからの反応を感じることができない。これはとても話しにくい。皆さんもやってみるとわかるが、反応がない中で話をすることは実に難しい。たぶんラジオのアナウンサーはこうした気持ちでいつもマイクに向かっているのだろうと思う。今日はコミュニケーションの話をしたい。
 コミュニケーション力の大切さはいまさらいうまでもないだろう。しかし、実際に上手にコミュニケーションがとれているかとなると、自信のある人は極端に少なくなる。また、仮に自信があると思っていても、日頃の友達との何気ない会話から誤解を受けたり、受け取り方を間違ってしまったり、あるいは、何気ない言葉で聞く人を不快にさせたり、傷つけたりして、場合によっては、仲が悪くなったり、けんかしたりしてしまうことすらある。中にはそのことが原因で学校に来たくなくなったり、不登校になったり、進路変更するものもいる。面と向かってのコミュニケーションですら、なかなか難しい。ましてやスマートフォンでのSNSやメールなどではなおさらで、これにまつわるトラブルも後を絶たない。コミュニケーション力の向上の秘訣は何だろうか。
 私は、コミュニケーションという言葉の語源にその極意があるように思う。コミュニケーションの語源はcommonという言葉にある。commonとは調べてみると、「共通」とか「分かちあう」といった意味が出てくる。ところが、この「共通」とか「分かち合う」という日本語はちょっといただけない。ニュアンスが違うのだ。日本語で共通とか分かち合うというとなにか部分的に同じであったり、一つのものを半分の二つにして互いに持つような意味に聞こえてしまう。ところが、英語でcommonというのは、お互いに同じ質のものをもつことを意味する。ここが大事だ。お互いが持っているものを同じにしないとコミュニケーションにはならないのである。一部分を共有したり、一つのものを分けていることはコミュニケーションにならない。具体的に考えてみよう。たとえば、あなたが友人の浦南さんと次のような約束をしたとする。設定はこうだ。12月25日(水)にディズニーランドに二人で行くことになった。待ち合わせは舞浜駅を出たところ。時間は午前10時。お昼ご飯は園内で食べるので、チケット代金とは別に2000円は持って行く。これだけの約束事であっても、お互いが同じ内容でわかっていないと、遊びに行くことはできない。部分的にわかっていたり、わかったような気がしていても実際には半分くらいしか記憶に残っていなかったりすれば、残念ながらお互いにたどりつかないし、たどりついてもろくに遊ぶこともできない。。同じものをお互いにしっかりと持つという感覚を理解できるだろうか。このことがわかってくると、何か相手に伝えるときには、自分が思っていることと同じ内容のことすべてをしっかり伝え、同じものを持ってくれたと実感することがいかに大切かがわかるのではないだろうか。
 明日から冬休みだ。年末と年始には、友人、家族、親戚と過ごす機会も増えるだろう。このチャンスに、「相手に自分が持っているものと同じものを伝える」コミュニケーションの極意に挑戦してみて欲しい。
 さて、今日の話は皆さんに伝わっただろうか。わたしと同じものを皆さんの中に伝えただろうか。感想を是非きかせてほしいものだ。
 それでは、よいお年を。
15:06
2019/09/08

令和元年度 第2学期始業式 式辞

| by urayasuminami-h
 今日は、最初にいくつか簡単な統計のお話をする。そのあとで、皆さんが高等学校で学ぶ意味を考えていきたいと思う。
 20年ぐらい前、西暦2000年を迎えるころ、「世界が100人の村だったら」という話がインターネット上で話題になり、テレビ番組も作成されていたことがあった。それによると、世界中の約70億人を百人にしてみると、30人が子どもで70人が大人で、そのうち7人がお年寄りとなる。20人は栄養がじゅうぶんではなく1人は死にそうなほどだ。75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがある。でも、あとの25人はそうではない。17人は、きれいで安全な水を飲めない。1人が大学の教育を受け、2人がコンピューターをもっている。けれど、14人は文字が読めません。
 昨年4月にユニセフ協会から世界子供白書2017が発刊された。世界の子供たちの様子を少し紹介しよう。
 世界の若者たちの約70%がインターネットにつながっている。
 教育に関しては、小学校に通う児童は約9割。でも4人に一人は最終学年までたどり着けない。中学校に至っては、就学しているのは50%~60%。いうまでもなく、高校で学べることは、世界的に見ると決してあたりまえのことではない。
 さて、こうしたことから、私が皆さんに話したいことは、皆さんが高校で学ぶことの意味である。どうだろうか。こうした世界的な状況を言われると、「ただ、なんとなく高校にいます」とか、「高校生って適当にやっていれば何とかなる」とか思いながら、たとえ毎日を過ごしていたとしても、よほどの人でなしか、悪人でない限り、そうそう同じような言葉を発することはできないだろう。
 世界的に見れば、そして、申し訳ないことかもしれないが、比較してみると、ここにいる皆さんは、間違いなく恵まれていることになる。このことは、単によかったねという話ではない。誤解してもらっては困る。高校で本校で高等学校の授業を受け、学び、経験を得ていくことを通じて、そのことをあなた方の根幹に据え、これから世の中で生きていく際に、考え、悩み、判断し、行動し、発言し、世の中でしっかりと働き、活躍することこそが、ひたすらに求められている姿なのだと思う。
 学校で学ぶことの価値は、あなたがたが育つことであり、育ったあなた方がこの世の中で世のため人のためとして活躍していくことが望まれている。そのことが「生きる」ということであり、あなた方の価値なのである。結論的に言えば、学校に登校し、出席し、学ぶこと、このことがあなた方の「生きる」意味なのである。学校で学ぶということを、決して仇やおろそかに考えてはいけない。
 今日から始まる2学期は、1年のうちで最も長く勉強できる学期であり、同時に学校行事も目白押しである。学校だからこそ学べること、あなただからこそ学べることを日々大切にして欲しい。
 2学期を迎えるにあたり、皆さんにこころからのエールを送り、始業式の式辞とします。
19:30
2019/07/19

令和元年7月PTA会報 学びの深化~「おもしろい」と思えるもの

| by urayasuminami-h
  六月に本校の生徒の皆さんがどのような学習活動を行っているのかを知るために、二週間ほどかけて授業観察を行った。ひとつ意外だったことは、授業中の生徒の皆さんの発言が多いことだ。授業中は静まり返ってしまっているのではないかと想像していたので、皆さんの活発な様子には少々驚いた。発言の内容はさまざまだが、授業者である先生とのやりとりを通じて、知的な深化を探る様子を伺うことができた。本来、「学習する」とは生徒の皆さんの内面を質的に変容させることにある。先生がいくら教え込もうとしても、自らが変わることに興味関心がなければ、学習活動はそもそも成立しない。この意味において、本校の生徒諸君は優れた学習者であるといって過言ではない。改めてすばらしい授業を展開している先生方を誇らしく思いつつ、皆さんの姿勢に敬意を表したい。
 ひとつアドバイスをすれば、何でもよいので、学習する中に「おもしろい」と思うことを見つけてみてほしい。これは、さらに深化の階段をあげるコツである。例を挙げてみよう。家庭科の授業で「給与明細」の話があった。明細書のなかのさまざまな項目は、まだ本格的に「稼ぐ」ことを体感していない人にはなかなか現実感が伴わない。アルバイトをしている人の中には、明細書をみて、稼いだ金額から税金を取られることを初めて知ったという人もいるかもしれない。「稼いだ額」と「手元にもらって自分が使える額」は違うのである。また、授業ではボーナスということにも触れていた。ボーナスという制度も甚だ日本的な風習である。そもそもを調べると、江戸時代、住み込みで働く奉公人が夏のお盆のころと冬の暮に実家に帰るとき、主から小遣いとして現金や着物を渡されていたことに始まるという。当然、外国にはなかなかこれと同じものはない。こうしたひとつひとつの新しい「知」に出会うとき、ひとは「へぇー」とか「そうなんだ」とかという感想を抱く。これが「おもしろい」なのである。さらにこの「おもしろい」を積み重ねていくと「学問」となっていくのだ。
 本校での「学び」をさらに深化させ、学んだことを糧に自らをどう生かすべきかを思い悩み、世のため、人のためにと生きていってほしい。
 七月からは空調の効いた教室での新たな授業が始まっている。皆さんの健闘を心から期待する。
13:30
2019/07/19

令和元年度1学期終業式挨拶

| by urayasuminami-h
「できることを増やす」

 今年度の1学期も今日をもって終了となります。人それぞれに様々な思いをもって臨んだ今年度だったろうと思いますが、この4か月間はどうだったでしょうか。少し言い方を変えると、この4ヶ月間に何ができるようになりましたか?何を学びましたか?どのように学びましたか?今日は皆さんと「できることを増やす」ということについて一緒に考えたいと思います。
 本来学習するとは、人間の内面における質的変容と言われています。つまり、学校に来て教室で出席し、学習活動をすることを通じて、自分の中で何かを変化させていくことが学習するということになります。皆さんは何か変えました?変わりましたか?変化を意識しましたか?1コマ1コマの授業のなかで、ハッとしたりヒェーと思ったり、フーなるほどと感心したり、へーと驚いたりほーと納得したり、だいたい「ハヒフヘホ」となるような心の動きや頭の働きをしていると頭の中を変化させていることになります。できれば、始まる前と終わってからの自分の比較をして変化を感じられるとさらに良いと思います。こうした変化を積み重ねていくことが、学習の積み重ねとなります。
 学びを積み重ねるとその蓄積から、何か新しいことや未知のことに対する考え方や道筋を探していくようになります。今、世の中はこうしたことを考えることが好きな人材を心待ちにしているのです。
 一つの例を示しましょう。「もし地球が東から西に自転していたとしたら、世界は現状とどのように異なっていたと考えられるか?」東京大学のある入学試験で出題された問題です。早い話、太陽が東から上らず、西からのぼるようになっていたとしたら、どのようにかわっていたかを問うています。いうまでもなく、正解はありません。正解をただひたすら求めるというのではなく、「こうかもしれない」「ああなるかもしれない」と考えを巡らせ、「だって○○だから」と理由を検討するでしょう。このとき、それまでに知っていることや気づいたことの積み重ねが考え方を導いてくれるのです。こうした正解のない問いにどう回答するのかが、今、求めれらる人材となるのです。
 身近なことでもできることもあります。たとえば、夏休みの計画は立てましたか?私は計画をたてることがとても苦手です。立てたとしてもちょうどよい計画はなかなか難しいです。そんな人は一日のやったことを記録しておくとよいです。縦軸に時間、横軸に日にちを書いて簡単にメモしてみるだけです。1週間たって振り返ってみると、いろいろと感じるはずです。こんなに遊んでしまった、とか勉強が少ないとか。そんな中から傾向がみえたり、パターンが決まっていることに気がついたりすれば、これからの生活のヒントになるはずです。
 まとめます。自分ができることというのは意外と気がつかないものです。「できることをふやす」には自分の内面の変化を音にしてみたり、ノートに記したりすることで気がつきやすくなります。そしてその変化の積み重ねがあなた方の将来を作っていくことになるのです。
 9月には、是非、一回り知的に大きくなった皆さんとお会いしたいと思います。どうぞ、有意義な夏休みを過ごしてください。
13:27
2019/04/26

千葉県立浦安南高等学校第36回入学式 校長式辞

| by urayasuminami-h
 満開の桜のあとを追うように、木々の芽は膨らみ、さまざまな生き物の息吹とともに、春の香りがより一層あたりに満ちあふれ出す、ものみな全てに躍動を感じる季節。この佳き日に、本校PTA会長 長谷部雅伸 様をはじめ、多数の御来賓の皆様の御臨席を賜り、ここに本校第三十六回入学式を挙行できますことは、教職員一同、大きな喜びとするところでございます。
 ただいま、入学を許可いたしました、一五六名の新入生の皆さん、入学おめでとう。心から祝福するとともに、歓迎いたします。
 皆さんは、義務教育を終え、さらに向学の志を立て、本校の第三十六期生として入学しました。ここに至るまでの皆さんの努力は大変なものだったと思います。高校生活を始めるにあたり、御家族の温かい愛情や皆さんを教え導いてくださった周囲の多くの方々、そして、共に励ましあった友への感謝の気持ちをどうか忘れないでください。そして、すがすがしい気持ちで、高校生活への第一歩を踏み出したこの日のことを忘れることなく、覚悟をもって所期の目的を果たして欲しいと思います。
 入学に際し、私から新入生の皆さんに考えてほしいことがあります。
 それは、私たち人間にとって、「学ぶ」とはどういう意味をもっているのかということです。確かに、皆さんは本校に入学し、高校三年間の所定の授業を修め、将来の進路へとつなげていこうと考えていることでしょう。しかし、「学ぶ」という行為は、単に「高い点数が取れる」とか「何かを覚えた」ということを意味しているのではありません。「学ぶ」ことを通して、自らの人生をより豊かに、より価値のある生き方をしていくことが大切なのです。人生を豊かに生きるとは、お金を多く持つことや偉くなったりすることではなく、自分を含め多くの人々の魂に充実感と感動を与え、少しでも多くの人の心の中に生き続け、より良いこと、より価値のあることを世の中に残すことです。自らがより良い生き方、価値のある生き方をして、世のため、人のためになることをし、お金では計り知れない良質でたくさんの感謝や安心感を人に与えるには、よりよいこととは何か、より価値のあることは何かを知り、感じることが必要なのです。それでは、なぜ、価値のある生き方をしなければならないのでしょうか。ボーっとして生きていてはなぜいけないのでしょうか。それは、私たち人間は生きている間にたくさんの借金をしているからです。この借金をかえさなければならないからです。借金とは何でしょう。朝起きて、食べたものを思い出してください。パンやご飯はすべて元々植物であり、植物を刈り取って、その命をいただいています。肉や魚はいうまでもありません。場合によっては、残飯を残したり、汚したり、電気やガスなども空気を汚し、環境を汚染し、私たちはもっぱらこの世の存在に迷惑をかけて生きているのです。つまり、借金をしているのです。生きている間に、この借金は当然返さなければなりません。どう返すか。いただいた分、汚した分だけではなく、何か価値のあることを残さなければ、借金を返済したことにはなりません。だから、何が価値のあることなのか、何が良い生き方なのかを知ることが、「学ぶ」ことなのです。
 幸いなことに本校は、皆さんが、この「学ぶ」ことのできる教育を用意しています。学び直しや基礎基本を確実なものにするための少人数教育やカリキュラム、八十%以上の先輩たちが熱心でわかりやすいと評判の授業、志を同じくする仲間など、申し分のない環境があります。さらに、地元の方々との交流やボランティア活動などを積極的に取り入れています。このことは、本校の教育活動でもっとも大切な基盤の一つとなっています。それは周囲に対する感謝の気持ちはもとより、真に生きていることの価値に触れられるような経験をしていくことであるからです。ぜひ皆さんにもこの浦安の地域との様々な交流を経験し、世のため人のために活躍しうる人材へと成長していって欲しいと願ってやみません。
 また、本校には開校以来、校訓として「誠実」を掲げ、学校一丸となって取り組んできました。人や物事に対する姿勢に真心があり、まじめで偽りのない真摯な姿勢を培うことで、たくさんの本校の先輩たちは世の中から評価され、活躍をしてくれています。
 新入生の皆さんはそれぞれ、よい個性や素晴らしい能力を持っていると思います。どうぞ、本校での三年間において、自らに誠実に向き合い、さらに磨き上げ、自分のためばかりではなく、世のため、人のために使えるような、人から感謝されるような、そういう人間に成長することを願っています。
 保護者の皆様、本日はお子様の御入学、誠におめでとうございます。お子様の成長を見守り続け、今日のこの日を迎えられました。ほっとすると同時に、感激も一入のことと思います。大切に育ててこられたお子様を今日からお預かりすることになりますが、私たちは人として正しいことを勧め、社会に出て通用しないものは通用しないとはっきり伝えていきます。一人一人のよさを大切にし、社会に貢献できる人材を育成するため、保護者の皆様におかれましても、本校の教育方針をしっかりと御理解いただき、力強い御支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
 結びに、本日、入学された皆さんが、本校で「学び」を進化させて大きく成長し、地域社会に貢献できる人材となることを心から祈念し、式辞といたします。
16:28
2019/04/26

平成31年度第1学期始業式校長式辞

| by urayasuminami-h
 あらためまして、おはようございます。
 さて、平成31年度の幕開けとなります第1学期始業式に際し、皆さんに少しお話をしたいと思います。
 先週の月曜日に本校に着任して、学校をいろいろとみて回ってみました。皆さんは歩いてみたことがありますか?
 たとえば、校門の通り沿いの藪には、詳しくないので種類はわかりませんが小型の海鳥が集団で過ごしていたり、裏門近辺の花壇にはチューリップや水仙などの花がきれいに咲いていたりします。でも、植樹された木々の中には、海風の影響からか枯れてしまったものも少なくないようです。歩いてみれば、しっかりと潮風も感じます。4階から眺めると本当に海がすぐそこです。さきほども少し話しましたが、本校にとっては目の前に広がる東京湾は切っても切れないものだとつくづく感じました。
 皆さんは、この「海」に何を感じますか。
 友達や家族といく夏の海水浴場でしょうか。あるいは、好きな人と手をつないで歩くロマンチックな海辺の風景でしょうか。はたまた、ごみがたくさん落ちていて、いつまでもなかなかきれいにならない千葉の海岸を思い浮かべるでしょうか。
 明治時代の作家であり詩人であった島崎藤村という人は、日本の海辺に流れ着いたヤシの実をみて、どこの国から来たのだろうか、その実がなっていた元の木は、今も茂っているだろうかと、遠い外国の風景を思い描き、自分自身に照らしながら歌に残しました。確かに、この目の前の海は、ここにいつまでもとどまっているのではなく、地球上のありとあらゆる国々にも、この海の水と同じものが流れているわけですから、海をみて、外国を思い浮かべることもあるでしょう。
 こんなふうに考えてみると、本校にとって象徴的な存在である「海」ということ一つとってみても、さまざまなことが考えられますし、想像していろいろなことを思い浮かべることができます。考えたり、思い浮かべたり、感じたりすることに何もルールはありませんし、方法もありません。皆さんの自由な世界であり、すべてが正解、間違いのない世界なのです。
 どうでしょうか。少し面白いと感じられましたか?こうして、自分が思ったことや思いついたことを、広げていってみたり、深めていったりすることを学問といいます。自分の知っていることを増やしたり、広げたりすることで、今の皆さんの目の前の世界が広がったり、深まったりしていきます。学問をしてみることは、実はとてもおもしろいことなのです。
 今日から平成31年度の学校が始まります。5月からは令和元年となり、新しい時代の始まりと世間では騒いでいます。私は、皆さんにこの記念すべき年の始まりに、いろいろな場面で、さまざまなことがらから、学び、広げ、深めていってほしいと願い、始業式の式辞にしてみました。未来は間違いなく皆さんの時代なのです。
15:09