校長室から

校長室から

令和6年度 前期終業式

前期終業式                                           令和6年9月26日

 皆さん、おはようございます。昨日までの一斉テスト、お疲れさまでした。令和6年度前期の終業にあたり、今日は、皆さんに前期の振り返りをしてもらいたいと思います。

私は4月に始業式と入学式で皆さんに次の3つのことをお願いしました。

一つめは、思いやりの心を持つことです。自分を大事にするとともに、周りの人を大事にして、皆がそれぞれの違いを認め合い、尊重する、思いやりの心を持つこと。

二つめは、将来の夢や目標を持つこと。そして、夢や目標に近づくため、具体的に行動し、粘り強く取り組むこと。

三つめは、自分で自分をコントロールする「自己調整力」をつけることです。メタ認知能力を高め、自分で自分をコントロールする力を高めてくださいとお願いしました。

そして、この東葛が、すべての生徒と教職員が幸せな生活を送れる、ウェルビーイングを実感できる学校であることを目指していますとお話ししました。

皆さん自身の、前期の取り組みを振り返ってみて、如何だったでしょうか。

東葛は、皆さんにとって、自分の成長を感じられる場であったでしょうか。

前期を振り返りますと、5月のスポーツ祭。6月の合唱祭。そして、8,9月の文化祭。皆さんの三大祭に取り組むエネルギーは、とても素晴らしく、いずれも昨年度を上回る三大祭になったと思います。そして今年度は、百周年を記念して三大祭の実行委員会が連携して「東葛王」も決定してくれました。三大祭の連帯感、一体感が感じられた、東葛が一つにまとまる良い企画だったと思います。

三大祭それぞれの実行委員の皆さん、プロジェクトメンバーの皆さん、ほんとうにお疲れさまでした。ありがとうございました。2年生、1年生の皆さんは、来年度、更に今年度を越えるものを作り上げてくれることを期待します。

また、7月31日に行われたオープンキャンパスを運営してくれたプロジェクトメンバーの皆さん、皆さんの東葛の魅力が伝わるプレゼンや、相手のことを考えたホスピタリティ溢れる案内で、すばらしいオープンキャンパスとなりました。来場された方々からたくさんのお褒めの言葉をいただきました。ほんとうにありがとうございました。

さて、前期で三大祭も終わりました。東葛は、動の前期、静の後期です。後期は、教養を広げ、深めて、学力を高めてもらいたいと思います。皆さんの夢や目標を実現するために、それに近づくよう粘り強く取り組むことを、お願いします。

 

話題を変えてもう一つお話しします。

今日も、本を一冊紹介します。『私の個人主義』という夏目漱石の評論集です。東葛の図書館にもありますし、青空文庫でも読めますので、是非読んでみてください。

この「私の個人主義」は、1914年(大正3年)今から110年前、学習院の学生(皆さんと同年代の)に話した講演を筆録したものです。「個人主義」という用語は、現代では「自分だけの利益や都合を優先する人」「自分勝手な人」を指すことが多く、批判的な意味合いで使われることが多いです。当時も国家主義や国粋主義の台頭する時代に、華族の子弟が通う学習院でこのような演題で講演することは、相当に警戒されたようです。

漱石は講演の前半で、自分の半生を振り返って、「自己本位」という立脚地を得て、今日までやってこられた。自分の個性を尊重すること、自分の個性を育て発展させることが、自身の幸福のために必要だから、皆さんも突き詰めて見つけてほしいと言っています。

漱石は東京帝国大学(現在の東京大学)で英文学を研究し、卒業後、英語の教師として愛媛の松山中学、熊本の第五高等学校へ赴任します。その後、官費留学に選ばれ、英語研究・英文学研究のために英国ロンドンへ留学します。そこでは、たいへんな苦悩があったようです。下宿先の自室に引き籠り、文学だけでなく、科学から哲学まで様々な書物と格闘した結果、重度の神経衰弱に罹ってしまいます。当時ロンドンから「夏目金之助が発狂した」という電報が打電されたくらいです。

漱石は英文学を専攻していましたので、その本場の批評家のいうところと自分の考えとが矛盾する場合、気が引ける。しかし、本場の批評家のいうことをそのまま鵜吞みにするのは、他人本位である。そこで文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、道はないと悟ったそうです。

漱石の言葉です。

「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自己本位の四字なのであります。」

「その時確かに握った自己が主で、他は賓であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。実はこうした高い壇の上に立って、諸君を相手に講演をするのもやはりその力のお蔭かも知れません。」

「ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、貴方がたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊こわされない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。また貴方がたのご家族のために申し上げる次第でもありません。貴方がた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。」

自分の個性を尊重すること、自分の個性を育て発展させることが大切だと述べています。自分とは、どんな人間か、他の人とどう違うのか、自分なりの考え方や価値観、自分軸をしっかりと持つことが、皆さん自身の幸せにつながります。

そして、講演の後半では、自分の個性を尊重するのと同時に他人の個性の発展を尊重すること、権力を行使するには、それに附随する義務を果たさなければならない、金力を使用するなら、それに伴う責任を負わなければならないと述べています。

「近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。」

「私はなぜここに妨害という字を使うかというと、あなたがたは正しく妨害し得る地位に将来立つ人が多いからです。あなたがたのうちには権力を用い得る人があり、また金力を用い得る人がたくさんあるからです。」

ここには、ノブレス・オブリージュの精神が語られています。この言葉、この精神は、皆さんも覚えておいてください。

ノブレス・オブリージュ(仏語 noblesse oblige)(英語では noble obligation)

元はフランスの貴族はその高貴な身分に応じた義務を果たさなければならないという道徳観で、現在では、社会的地位に応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある、社会の模範となるように振る舞うべきだという考え方です。

漱石に戻ります。

「今までの論旨をかい摘んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。」

「ご存じの通り英吉利という国は大変自由を尊ぶ国であります。それほど自由を愛する国でありながら、また英吉利ほど秩序の調った国はありません。実をいうと私は英吉利を好かないのです。嫌いではあるが事実だから仕方なしに申し上げます。あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう。日本などはとうてい比較にもなりません。しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、子供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。 England expects every man to do his duty. といった有名なネルソンの言葉はけっして当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根柢をもった思想に違いないのです。」

「それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうした我儘な自由は決して社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるにきまっているからです。私は貴方がたが自由にあらん事を切望するものであります。同時に貴方がたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らないつもりです。」

自由には義務と責任が伴うということです。 

「自主自律」の東葛で学ぶ皆さんには、より深く理解できることと思います。皆さんに一度、是非読んでもらいたいと思い、紹介しました。

東葛の「自主自律」、「真の自由とは」そして「自らを律する」ということを今一度深く考えてほしいと思います。

 

以上、前期の振り返りと漱石の『私の個人主義』、二つのことをお話ししました。

それでは、秋休みを挟んで10月4日から始まる後期も、皆さん一人一人が心身共に健康で充実した、ウェルビーイングな学校生活を送れることを願って、終業式の話を終わりにします。

ご卒業おめでとうございます。

令和5年度 第96回卒業式 

 式辞

 校内の松の緑も柔らかくなり、春の訪れを感じるこの佳き日に、御来賓並びに保護者の皆様のご臨席のもと、東葛飾高等学校 第九十六回卒業式を挙行できますことに、心より感謝を申し上げます。 

 ただ今呼名された、三百十一名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。本日をもって高等学校全日制の課程を修了いたします。

 この三年間を振り返ると、コロナ・パンデミック下で制限の多い高校生活の始まりでしたが、東葛の「自主自律」の下、皆さんは、スポーツ祭、合唱祭、文化祭にエネルギーを燃焼させ、一人一人がその役割を全うし協働して各行事を盛り上げてくれました。二年時には北海道へ修学旅行に行くことができ、良い思い出を作ることができました。三年間の学校生活を通して、自分とは異なる様々な価値観と多く出会う中で、確固たる自分軸を持つことが出来、同時に、各々の違いを認め合い尊重する寛容の心を育んでくれたことと思います。

 皆さんの門出に当たり、私から餞の言葉を贈りたいと思います。

「あなたの夢は何か、あなたの目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう。」

「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい。」 

 インドの独立指導者、マハトマ・ガンジーの言葉です。将来の予測が困難なVUCAと言われる時代に、皆さんは、新たな価値を創造する力、対立やジレンマに対処する力、責任ある行動をとる力、エージェンシーを発揮して、よりよい未来と幸福な人生の創り手となってください。戦争や貧困による分断のない社会、すべての人の尊厳が認められ誰ひとり取り残さない社会、皆がウェルビーイングを実感できる社会、その実現を可能にする「未来を切り拓く心豊かな次代のリーダー」になってくれることを願っています。 

 保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。お子様の晴れの姿をご覧になり、感無量のことと拝察いたします。卒業する皆さんが本校で学んだ日々は、人生の基盤となる幹となり、歳月をかけてそれぞれに花開き、実を結ぶものと信じております。これまで、本校の教育活動にお寄せくださいました温かいご理解とご協力に、心より深く御礼申し上げます。 

 卒業生の皆さん、東葛高校は皆さんの母校、心の故郷として、自主自律の校是は、心の拠り所として、いつまでも皆さんの中に生き続けることと思います。そして、此処東葛で出会った友は、生涯の友として付き合い、支え合うことになると思います。東葛高校は、今年創立百周年を迎えます。そして、次の百年に向けて創造の歩みを進めます。皆さん、それぞれの空の下からこの東葛高校を応援してください。 

 皆さんの前途に 幸多からんことをお祈りし、式辞といたします。 

    令和六年三月五日

         千葉県立東葛飾高等学校長   稲川 一男

校長挨拶

東葛飾高等学校全日制課程のホームページへようこそ。                                   

 

本年4月に着任しました、校長の 稲川 一男 です。

よろしくお願いいたします。

 

本校は、大正13年に創立され、来年創立百周年を迎える伝統校です。

「自主自律」を校是に、「学力」、「人間力」、「教養」を培い、約3万人の卒業生が社会の様々な分野で幅広く活躍しています。また、平成26年度から医歯薬コースを開設し、平成28年度には、東葛飾中学校が開校して併設型中高一貫校となり、新たな東葛が育っています。

 

本校全日制課程の教育方針(教育理念)は、自主自律の校是のもと、確かな学力と幅広い教養を身に付け、他者と協働しながら未来を切り拓く心豊かな次代のリーダーを育成することです。全校生徒が、切磋琢磨して勉学に励み、三大祭の学校行事や部活動等を通じて心を磨き、身を鍛え、相互に信頼しあいながら、また、中学生と高校生がお互いに刺激し、リスペクトしあえる魅力的な関係を構築しながら、学校生活を送っています。

 

本校の生徒の皆さんには、「心豊かな次代のリーダー」となるために、「思いやりの心」を持ってほしいと思います。自分とは異なる価値観や考え方、感じ方と多く出会う中で、自分軸を確固たるものとし、それと同時に、その違いを認めて尊重する、多様性への理解と寛容が大切です。

また、「将来自分はどのようになりたいか」という夢や目標を持ち、それを実現するために、今、何をしなければならないかを考え、具体的に行動する力を持ってほしいと思います。自分の夢や目標を実現するために、自ら考え行動し、目の前の課題を解決していくこと、粘り強く取り組むことが、エージェンシー、変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら、責任ある行動をとる力の育成に繋がります。

そして、「自己調整力」、自分で自分をコントロールする力を高めてほしいと思います。自分が認知していることを客観的に俯瞰し、現状を評価して、さらには必要に応じて修正するなど、自分の行動をモニターしたり、コントロールしたりする「メタ認知」能力を高めることが、自律に繋がります。

 

本校での学びを通して、物事の本質をどう見るべきか、何をすべきか、真のリーダーとは何か、優しさとは何か、これらの課題に本校生徒は、真正面から取り組んでいます。それが、歴史と伝統を誇る東葛飾の「自主自律」の学びの姿勢です。

常に成長の歩みを止めずチャレンジして、「夢の実現」に向き合い続ける、そんな皆さんを本校は歓迎し、応援します。

 

 令和5年4月

 

千葉県立東葛飾高等学校
校長  稲川 一男



ご卒業おめでとうございます(校長室から))

 通用門の桜(ソメイヨシノではありません)が今年は満開です。
本日は、近隣の多くの中学校で卒業式がありました。おめでとうございます。
本校も、7日に定時制、8日に全日制、9日に中学校の卒業式を、天候にも恵まれ行うことができました。また、今日は、大学受験の桜の発表がありました。この後、後期日程に向かう卒業生もいます。来週は、全日制の入学説明会です。
 悲喜こもごもの3月です。全日制卒業式の式辞を掲載し、希望の春に向かう本校に関心を持っていただいた皆さんにエールを送りたいと思います。

 式辞
 一雨ごとに、校内の木々の芽吹きに、希望の春を感じさせるこの佳き日。保護者の皆様の温かい眼差しの中、令和四年度 千葉県立東葛飾高等学校 全日制の課程 第九十五回 卒業式を挙行できますことに、職員を代表して、心からの感謝を申し上げます。
 ただいま、誇り高き学び舎を巣立つ 三百十三名の皆さんに、卒業証書をお渡ししました。 休校からスタートした九十五期生は、パンデミックという未曾有の厄災のなか、三大祭で輝く先輩たちの姿を追うこともないまま、それでも東葛生の誇りを失わず、仲間とともに最善を享受すべく高校生活を送ってきました。今日というハレの日の輝きは、自主自律の積み重ねが、個性という色彩を加えて七色に咲き誇った証であります。かけがえのない青春の群像に、敬意を表するとともに、心からお祝いを申し上げます。
 保護者の皆様には、一入の思いで今日の日を迎えられたことと存じます。おめでとうございます。また、これまでの御支援、教職員一同、心より御礼申し上げます。巣立ちの日に当たり、これまでの学校での学びが、それぞれの人生の基盤となり、眩しい程に輝いて花開いていくものと信じてやみません。

 本日は皆さんの成人を祝う式でもあります。成人とは、子供としての達成であり、社会の構成員となることであります。そんな、人生の節目に当たり、少しばかりお話しをさせていただきます。
 昨年令和四年は、戦後七十七年でありました。そして、その戦後から七十七年前が、明治元年にあたります。つまり、明治元年、終戦、そして昨年が七十七年の間隔を空けて並んでおります。明治維新からの七十七年が、日清日露、そして二度の世界大戦が続く戦争の時代であったのに対し、戦後の七十七年は、日本では一度も戦争がなく、文化的・科学的にも大きな進歩とその恩恵を享受した時代でありました。
 次の七十七年は、様々な期待と不安が入り混じる未来予想がされています。そんな混迷を迎える時代に、もし皆さんが「将来、何になりたいか」「夢は何ですか」という問いかけに、「常に追い込まれてきた」と感じていたとしたら、我々大人は反省しなければなりません。
 皆さんは、本校の校是である自主自律をどんな存在の言葉として獲得されたでありましょう。自主自律は、「ねばならない」からの解放、つまり自由の獲得としてとらえられてきたと思います。
 思想家であるカントは、欲望の奴隷から解放されること、自分を自分で律することこそが、真の自由であると言っています。
自由にはlibertyとfreedomと二つの表現があります。libertyが、社会中でいかに個人を保障するかという「外に向かう自由」、一方、freedomは、その人自身を律する「内に向かう自由」であります。
 彼は、libertyとfreedomを同時に実現する「目的の王国」を理想としました。そして、その理想の障害となる戦争をなくすため、「いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない」という考えを打ち出し、その構想は、国際連合に受け継がれています。
 アインシュタインは、核分裂の研究を進め原子爆弾を開発しました。しかし、価値判断にあったては、人類平和の立場からその製造には強く反対し、平和運動を推し進めました。カントのいう実践理性によって価値判断をしたのです。
 皆さんには、ゴールの先にある価値を見つめ、自分を変化させるだけの余白が持てる生き方をしていってほしいと願います。そこには、自分も相手をも受け入れる大きな器のような存在が必要なのかもしれません。それこそが、自主自律なのではないでしょうか。
 結びに、「竜馬がゆく」の中にあった坂本竜馬のセリフを送ります。
「人よりも一尺高くから物事を観れば、道は常に幾通りもある。」
東葛生らしく、世のため、人のため、自分らしく。失敗してもいい。普通ではない人生を送られんことを。
  以上、卒業生の輝かしい未来に幸多きことを、心から祈念し、式辞といたします。

 令和五年三月八日 千葉県立東葛飾中学校・高等学校長 篠木 賢正


 

後期が始まりました(校長室から)

今年度も10月を迎え、後期がスタートしました。

 以下は、全日制及び中学校の始業式でお話しした内容です。教科横断の学び、人の生き方、自主自律とは何かを意識しながら、組み立ててみました。著作権の関係からスライドで提示した図表等を掲載できず、伝わりにくい部分があと思います。ご勘弁ください。

 
 皆さん、おはようございます。後期のスタートとなりました。1年生は学校に慣れ、2年生は学校の中核として、3年生は上級学校を見据えた活動が本格化して毎日を過ごしていると思います。東葛生と接していると、改めて、やりきれる生徒が集まる学校だと感じます。それでも、混迷の時代とか閉塞感とか、ネガティブに未来を表現する言葉もあふれていて、これからどうしていったらいいのか悩んだり、戸惑ったりしながら日々を過ごしている人も少なくないと思います。

 今日は、私が、この1年ぐらい疑問としてきた「問い」についてお話しします。とっかかりは、昨年度の高2生と行った修学旅行の比叡山延暦寺です。

 そこで、お坊さんの話がありました。法話ですから、「人間は、どう生きるべきか」というテーマなんです。その中で「一隅(いちぐう)を照らす。此れ則ち国宝なり。」という言葉の説明がされました。一隅とは、片すみという意味で、世の中は、何か大きな光で明るくなるのではなくて、一人ひとりが自分のいる場所で、ろうそくのように自らが灯かりとなって周りを照らし、懸命に生きることが大事だという意味です。そうだなと思いながら、旅行から帰って日常が始まり、忘れそうになるんだけど、「なぜ、懸命に生きるのか?」もう少し、理屈で説明できないかと、考え始める自分がいました。

 それから、いろいろ本を読むたびに、答えを探していました。そして、この夏休みなんですが、生物学者の福岡伸一さんの本に出会います。(「最後の講義 どうして生命にそんなに価値があるのか」)その中に次の一節がありました。「人は、エントロピー増大の法則にあらがって生きる存在である。」これを読んだとき、ろうそくの灯かりとバチっと一致したんです。

 そうは言っても、いきなり、エントロピーが出てきて、気になりますね。物理や化学ででてくるので、ここにいる半分ぐらいは説明できるんだと思いますが、「世の中のものは、時間とともに自然に壊れていく」「覆水盆に返らず」と説明される熱力学第2法則であります。この宇宙の大原則があるにもかかわらず、人類のような生命現象は、秩序が生まれ、進化している。つまり、あらがっているというわけです。

 福岡さんは、これを生物実験で実証します。ねずみが、チーズを食べます。食べたもののエネルギーは、ねずみが動くことと、もう一つは、細胞を作り変えることに使われます。うんちというのは、食べ物のカスより、古い細胞を捨てている分量の方が多いそうですね。人間の体は、1年ですべての細胞が、食べたものの原子や分子によって入れ替わっていて、交換されている。つまり、細胞は、酸化したり、老廃物がたまって壊れていきますが、生命は、壊われるよりも先回りして、積極的に細胞を作り替て、必死に新陳代謝して抵抗している。

 また、福岡さんは、このことを数理モデルで説明しています。(この斜面は、万有引力の法則とエントロピー増大の法則を同じものと見立てていますが、)坂の上に生命の輪が載っています。そして、分解する速度が、合成する速度より少しだけ速ければ、円は反時計回りに、坂を上り返そうとする力が働くというわけです。

 私は、坂を上っていく矢印に、「人が懸命に生きること」を見る思いがしました。そしてもう一つ。分解が合成より速いということは、この輪っかはだんだんと短くなる。これが、寿命です。だから、自分でこの炎は消してはいけないんです。

 もう少しだけ、続けます。私は社会科の教員ですから、人間を集団、人類ととらえます。「エントロピー 人類 本」と検索したら、この本が出てきました。(「エネルギーを巡る旅」古舘恒介著)エネルギーをどう活用して、文明を築いてきたのかという本ですが、人類の チャレンジ・アンド・レスポンス、自然界に対する「あらがい」の道のりを読み取ることができました。

 また、僕の思考は地理ですので、空間の多様性が、興味の対象です。エントロピーの増大の法則にのっかれば、多様性は、分断を生むとなるんだろうと思うんですが、地理を学ぶことは、価値観を認め合う 共生と分断の解消を目指すという、人類のあらがいにつながっていくことではないか、と考えました。

 まとめです。「下り坂を上り返そうと頑張っているのが生命だ」。これは、フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンの言葉です。人類の抵抗を見てみると、ただ「頑張る」とか「一生懸命」という単純なものだけでない、「とまどい」や「ぶつかり合い」とか、もうすこし、どろどろしたネガティブなことも混ざり合っているという状況で説明できるでしょう。 ただ、みんなが幸せになることを目標に、坂を上っているんだと見えてこないでしょうか?

 さて、ここまで、一人一人が懸命に生きる。その意味について話してきたんですが、最後に、東葛生に、一言問いかけておきましょう。「自主自立って何?」

改めて、いろいろなろうそくがあります。ろうそく一つ一つが、一隅を照らしています。そして、互いが共鳴しあい、全体を明るくしています。

 これは、リーダシップについて、説明した図ですが、灰色の部分は、セルフ=リーダーシップとあります。自律という文字もここにあります。東葛生には、ここから、緑色のところまでを、見渡し、目指してほしい。

 最後に、まとめのメッセージを送ります。理想や信念に向かって自己を導いている人は、すでに半分リーダーである。その姿を見て誰か一人でも後についてくれば、まさにリーダーである。自主自律とは、自分と他者が深くつながること、自他の同化ではないだろうか?

 今日は これをまとめとします。

 令和4年度、半年よろしくお願いします。