校長室から

ご卒業おめでとうございます(校長室から))

 通用門の桜(ソメイヨシノではありません)が今年は満開です。
本日は、近隣の多くの中学校で卒業式がありました。おめでとうございます。
本校も、7日に定時制、8日に全日制、9日に中学校の卒業式を、天候にも恵まれ行うことができました。また、今日は、大学受験の桜の発表がありました。この後、後期日程に向かう卒業生もいます。来週は、全日制の入学説明会です。
 悲喜こもごもの3月です。全日制卒業式の式辞を掲載し、希望の春に向かう本校に関心を持っていただいた皆さんにエールを送りたいと思います。

 式辞
 一雨ごとに、校内の木々の芽吹きに、希望の春を感じさせるこの佳き日。保護者の皆様の温かい眼差しの中、令和四年度 千葉県立東葛飾高等学校 全日制の課程 第九十五回 卒業式を挙行できますことに、職員を代表して、心からの感謝を申し上げます。
 ただいま、誇り高き学び舎を巣立つ 三百十三名の皆さんに、卒業証書をお渡ししました。 休校からスタートした九十五期生は、パンデミックという未曾有の厄災のなか、三大祭で輝く先輩たちの姿を追うこともないまま、それでも東葛生の誇りを失わず、仲間とともに最善を享受すべく高校生活を送ってきました。今日というハレの日の輝きは、自主自律の積み重ねが、個性という色彩を加えて七色に咲き誇った証であります。かけがえのない青春の群像に、敬意を表するとともに、心からお祝いを申し上げます。
 保護者の皆様には、一入の思いで今日の日を迎えられたことと存じます。おめでとうございます。また、これまでの御支援、教職員一同、心より御礼申し上げます。巣立ちの日に当たり、これまでの学校での学びが、それぞれの人生の基盤となり、眩しい程に輝いて花開いていくものと信じてやみません。

 本日は皆さんの成人を祝う式でもあります。成人とは、子供としての達成であり、社会の構成員となることであります。そんな、人生の節目に当たり、少しばかりお話しをさせていただきます。
 昨年令和四年は、戦後七十七年でありました。そして、その戦後から七十七年前が、明治元年にあたります。つまり、明治元年、終戦、そして昨年が七十七年の間隔を空けて並んでおります。明治維新からの七十七年が、日清日露、そして二度の世界大戦が続く戦争の時代であったのに対し、戦後の七十七年は、日本では一度も戦争がなく、文化的・科学的にも大きな進歩とその恩恵を享受した時代でありました。
 次の七十七年は、様々な期待と不安が入り混じる未来予想がされています。そんな混迷を迎える時代に、もし皆さんが「将来、何になりたいか」「夢は何ですか」という問いかけに、「常に追い込まれてきた」と感じていたとしたら、我々大人は反省しなければなりません。
 皆さんは、本校の校是である自主自律をどんな存在の言葉として獲得されたでありましょう。自主自律は、「ねばならない」からの解放、つまり自由の獲得としてとらえられてきたと思います。
 思想家であるカントは、欲望の奴隷から解放されること、自分を自分で律することこそが、真の自由であると言っています。
自由にはlibertyとfreedomと二つの表現があります。libertyが、社会中でいかに個人を保障するかという「外に向かう自由」、一方、freedomは、その人自身を律する「内に向かう自由」であります。
 彼は、libertyとfreedomを同時に実現する「目的の王国」を理想としました。そして、その理想の障害となる戦争をなくすため、「いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない」という考えを打ち出し、その構想は、国際連合に受け継がれています。
 アインシュタインは、核分裂の研究を進め原子爆弾を開発しました。しかし、価値判断にあったては、人類平和の立場からその製造には強く反対し、平和運動を推し進めました。カントのいう実践理性によって価値判断をしたのです。
 皆さんには、ゴールの先にある価値を見つめ、自分を変化させるだけの余白が持てる生き方をしていってほしいと願います。そこには、自分も相手をも受け入れる大きな器のような存在が必要なのかもしれません。それこそが、自主自律なのではないでしょうか。
 結びに、「竜馬がゆく」の中にあった坂本竜馬のセリフを送ります。
「人よりも一尺高くから物事を観れば、道は常に幾通りもある。」
東葛生らしく、世のため、人のため、自分らしく。失敗してもいい。普通ではない人生を送られんことを。
  以上、卒業生の輝かしい未来に幸多きことを、心から祈念し、式辞といたします。

 令和五年三月八日 千葉県立東葛飾中学校・高等学校長 篠木 賢正