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校長挨拶

本校は創立から55年を数える伝統校です。

 校歌の1番にあるとおり,開校してしばらくは梨畑や田んぼが広がる地域にありました。白い花の咲く梨畑,国府台に沈む美しい夕日,田んぼにはひばりが舞い,冬には白鷺が何羽も降りて遊んでいる・・・,そんなのどかな風景が広がっておりました。今でも,隣接する地域には梨香台という名が残されています。

 そんな自然豊かな環境の中,生徒は自由な校風のもと,自ら夢をもって生き生きと高校生活を送り,自立した社会人となるための基礎を身につけています。校訓は「自主自律」。この言葉に象徴されるように生徒は伸び伸びと,勉強はもちろんのこと,部活動や学校行事に積極的に取り組んでいます。

 進路においては,大学・短大等の現役決定率は90%となっており,県下有数の成果を上げています。

 生徒一人ひとりを大切にする教育は生徒の安心感を生み,明るく笑顔で過ごせる学校です。国分高校は安心・安全で充実した学校生活を送ることができます。まさに本校生徒は,ユネスコ・スクール加盟校として「心の中に平和の砦」を体現しているといえましょう。

是非,本校の生徒を見てください。

 

 本校への進学を希望する皆さん,国分高校はその期待に十分
応えられる学校です!

 

 結びに地域の皆さま,保護者の皆さま,同窓生の皆さま,
今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
 (掲載した似顔絵は漫画研究部の生徒が描いてくれたものです)

 
                                                                      千葉県立国分高等学校長 髙野 義幸

 

校長日誌

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2018/03/12

国分高校という校名について

| by Y.T
 生徒会誌「梨香」で標記について寄稿しましたので掲載いたします。
 
 初代校長の石井勇三郎先生は創立十周年記念講演(昭和49(1974)年)で次のように述べられている。

 「私が校長に任命された時は、既に校名は決まっていた。何故、『稲越高校』としないで『国分高校』としたのか、それは知らない。『国府台高校』は『国府台』にあるからだろうから、これにならえば『稲越町』にあるから『稲越高校』となるだろう。しかし本校が授業を始めた仮校舎は国分小学校であったので、呱呱(ここ)の声をあげた場所の地名をとって『国分高校』としたのだろうと思う。また『国分』の方が歴史的にいわれのある言葉で通りもよかったからだろう。国分小学校のそばの台地の上は、昔の国分寺、国分尼寺のあったところで、今このあたりは国分町という町内になっている。しかし、一般の人はこの読み方を『こくぶ』と読んでいた。(中略)初めのうちは間違われないように、封筒等の学校名の印刷には、全て『こくぶん』と読み仮名をつけることにした。既に創立十周年、本校の名を『こくぶ』と云う人は今はないと思う。」

 かつて県教育委員会に勤務されていた方からは、「市川高校」という校名が検討されたと聞いている。しかし、これは「市川」を冠した私立学校が既にあることから除外されたようだ。興味深い話だが記録はない。この話以外にも詳しい経緯を知っている方がいらっしゃればお聞きしたいと思っている。

次に「国分」という名称について記す。これは国分寺が由来である。

国分寺とは奈良時代の天平13(741)年、聖武天皇の命令で諸国に建立された寺である。その発端は天然痘の流行と飢饉が起こり、事態の収拾と護国(鎮護国家)の必要があったからである。国分寺は僧寺と尼寺からなり、僧寺の正式名称は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、尼寺は法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)という。

千葉県は三つの国に分かれていたことから安房国分寺(館山市)、上総国分寺(市原市)、下総国分寺(市川市)が建立されている。

下総国分寺の僧寺は南北336m、東西360mに及ぶ広大なものであった。敷地には、金堂、講堂、七重塔(しちじゅうのとう)、僧坊、鐘楼などがあった。特に七重塔は60mを超え、柱は赤く瓦葺(かわらぶき)で最上階の相輪(そうりん)は金色に輝いていた。当時の人々のほとんどが草で覆(おお)われた竪穴(たてあな)式住居で暮らしており、大地に立つ七重塔は荘厳な建築物であったと考えられる。お寺は現在も真言宗豊山派下総国分寺として残っている。須和田公園から行くと一旦坂を下り、急な坂を登りきると本寺にたどり着く。

尼寺も南北330m、東西324mに及ぶ広大なものであった。現在は国分尼寺跡公園(国分4-17-1)になっている。公園では金堂の柱石の位置が分かるように示されており、その建物の大きさを実感することができる。和洋国府台女子中学校の隣なのでそこを目指せば行けるだろう。

下総国分寺について詳しく知りたい人は市立市川考古博物館(堀之内2-26-1)に行くとよい。

国府(こくふ)とは現在なら県庁にあたる機関。まさに地方行政の中心であり、それが置かれていたのが「国府台」である。国府台高校はその名を冠す。一方、国の安泰を願い、学問・文化・芸術の中心拠点であった国分寺。その地に有縁の国分高校。両校は千年以上の昔から深き縁(えにし)で結ばれていたといえまいか。

生徒諸君には本校を誇りに思い、なお一層の精進を期待している。


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