「昨年11月に行われた千葉県高校生文芸部誌大会「散文」の部で、当時一年生の高橋和君の作品「大人」が優秀賞に選ばれ、2022年8月に行われる全国大会出場が決定しました。」
どうも、この報告文章を書いている2022年当時二年生の高橋和です。よろしくお願いします。
僕が参加させていただいた東京総文祭は、四十七都道府県から選ばれた人が集まる壮大な催しで、僕みたいな前髪が目にかかっているような身には不相応な、はちゃめちゃにすごいイベントです。
僕が参加したのは三日間。一日ずつ語らせていただきます。
まずは初日。会場である聖心女子大学(文芸部が集まるときにやたらと女子大が多いのは悩みどころである)で開会式に参加したのち、東京都北区にある、紙の博物館へ向かいました。何県かのグループが集まって移動するのですが、僕以外の全員が日傘を持っていましたね。理不尽だ! いつから日本は日傘所持を義務付けたんだ! おかげでお茶畑にいるおばあさんみたいにタオルを頭巾にするはめになったじゃないか! ......こほん。到着してからはまず、紙すきを体験しました。紙すきとは木の繊維を溶かした水を使って紙を作る作業のことで、ただの液体が紙に変身するのを実際に見たときは感動しました。ひっくり返ったカメが自力で元に戻るのを見たときと同じ感じです。
紙すき体験を終えたあとは、紙の歴史や文化などの展示を見てから、紙の博物館の隣にある北区飛鳥山博物館に移動しました。ちなみに、たかだか五分程度の移動でしたが、八月のはじめだったので、太陽に暴言を吐くほど暑かったです。
飛鳥山博物館にはとても広い範囲の昔が展示されていて、僕が今を歩く上でとても興味深いことを学びました。例えば縄文時代に使われていた土器とか。
最後に向かったのは、田端文士村記念館です。田端という場所は、あの芥川龍之介を含む大勢の芸術家が住んでいた土地で、この記念館には太宰治が芥川賞を貰うために書いた四メートルの手紙の模造品が展示されていたりと、過去の文豪について知るにはうってつけの場所でした。ついでに太宰治の執念のヤバさも充分伝わりました。
これで、初日は終了です。
二日目は外へ出ず、聖心女子大学の中にいました。階段の窓はステンドグラス。食堂へ向かう道の途中には教会がある凄い大学の一室で、僕は他県の三分部門代表者三人とグループになり、自分の部屋を文章で説明してそれをもとに描いてもらった絵がどれだけ合っているか。や、見せられた写真をいかにして描写するか、などの活動を行いました。なお、グループになった三人の特徴を軽く書くと、自分の心臓の音を聞くのが好きな人(書いてきた小説では心臓の中に入り込んでいた)と文芸の大会で特技はピアノだと答えた人(一人だけ私服で居心地悪そう)、最後に小説よりバスや電車の時刻表が好きな人(何でここにいるんだよ)です。超個性的ですね。また、総文祭に出場する際に新たに執筆して提出した、一万二千字以内の散文を互いに読み合い、感想を語り合いました。何の説明もされずに書かされた一万二千字は、めちゃくちゃ睡眠を妨害してくれました。その後、額賀澪先生に描写についての講義をしていただき、自分の至らなさを思い知ると共に、次の段階へと歩を進めることが出来ました。
最終日は、荘厳な雰囲気に圧倒されるホールにて、谷村志穂先生の講演を聴きました。
その内容は、人生何が起こるかわからない、というメッセージを先生自身の過去に乗せたものでした。人生何が起こるかわからない。だからこそ、諦めてはいけない。そうおっしゃっている風に、僕は感じました。
三日間という、長くも短かった時間で、僕は我ながらに、大きく成長出来たと感じています。文章力はさることながら、本を作る上で欠かせない紙に対する感謝を覚え、先の見えない未来への不安に一筋の光を見出し、精神的に重要なものを得ることが出来たのではないかと思っています。
. .....思ってるんですが、やっぱり不安なものは不安ですね。ただ、ここまで読んでくれた人に、成長した僕からかけられる言葉があります。
「最も大切なのは自分」
共に腕を磨いた三名に特筆できる個性があるのは、各々が己が何を求めているのか、何を第一にして生きていくのかを考え抜いて決定した結果ではないかと僕は考えています。来ていただいた作家先生方に至ってもそうです。ゆえに僕は、この先の道において己を貫いた選択をすることを目標とすることをここに宣言します。