本校の歴史は,1941(昭和16年)まで遡ります。この年,千葉市立高等女学校として本校は誕生しました。場所は,現在とは違い,千葉市港町19番地。都川沿いの敷地に建っていた寒川小学校の校舎を仮校舎とし,1学年4学級200名定員の4年制の学校としてスタートしました。そして,その年の5月15日に開校式が行なわれました。ですから,この日をもって創立記念日としているのです。ちなみに,校訓の「明朗,真剣,錬磨」は,当時の滝熊之助校長の訓えに由来しています。

▲創立当初の港町校舎(『創立30周年記念誌』より)
その後,昭和18年には葛城に第2,第3校舎ができ,3か所で授業が行なわれている時代が続きました。

▲葛城町校舎(『創立30周年記念誌』より)
昭和23年には,千葉市立女子高等学校と校名を変更して,現在の轟町の地に移転します。そして,戦後の財政難による統廃合の危機を乗り越えて,昭和25年に県立に移管されます。校名も千葉県立千葉第三高等学校に変更され,男女共学校となって再出発します。現在の千葉東高等学校に校名が変更されたのは,昭和36年4月1日からです。
なお,昭和29年には通信制(通信教育部)が併設され,昭和40年には衛生看護科が設置されました。その後,通信制は千葉大宮高校に引き継がれ,衛生看護科は若葉看護高等学校として独立し,現在は幕張総合高等学校の看護科として教育を継続しています。

▲轟町校舎(『創立30周年記念誌』より)
74年前の創立当初は、教室が不足して2部制の授業で対応していたそうです。創立記念日は、歴史と伝統を築いてきた諸先輩の努力と苦労に思いを馳せる日としたいものです。
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