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卒業生数

◆ 卒業生数*(H31.3.8現在)
  家政科  3,535名
  普通科 13,262名
  体育科  1,856名
  合 計 18,653名
*上記の数は千葉県立八千代高等学校(昭和41年4月独立)の卒業生数です。総卒業生数は、千葉県立佐倉第二高等学校大和田分校(昭和27年4月から)、千葉県立佐倉東高校大和田分校(昭和36年4月から)、同校八千代校舎(昭和37年4月から)の卒業生数が加わります。

◆ 草創期の卒業生数
 佐倉第二高等学校大和田分校
 佐倉東高校大和田分校
 普通科(定)87名 
 〈S31.3~S35.3まで〉
 短期家庭科(定)116名 
 〈S34.3~S37.3まで〉
 

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平成30年度 第3学期終業式講話

 皆さん、おはようございます。
 いよいよ平成30年度も、今日で終わります。
 4月からは平成31年度となりますが、すぐに新しい元号の元年度となります。
 いずれにしても、今まさにひとつの時代が終わり、新しい時代の始まる区切り、
 エポックを迎えています。
 
 その区切りの年に、私事で恐縮ですが、定年退職を迎えることとなりました。
 私の場合は37年間の教員生活でしたが、
 その最後がこの八千代高校であったことを、
 大変嬉しく思うと同時に、誇りにも思っています。
 八千高生のひたむきさ、誠実さ、そしてその頑張りは、
 他の高校生の模範とするところであり、
 高校生らしい高校生とは、まさに皆さんのことであると確信します。
 これは、私と同級の先生方が外にもいらっしゃいますが、
 皆さんに共通する感慨だろうと思っています。
 
 そんな八千代高校の校長として赴任して2年。
 どれだけ貢献できたかは、甚だ心もとないところではありますが、
 全校生徒の皆さんの前で話をする機会については、
 その内容に対し、私なりに全身全霊を傾けてきたつもりです。
 1年間で、各学期の始業式、終業式での講話6回、
 入学式、卒業式の式辞2回を含めると、計8回の機会がありました。
 細かな挨拶を含めるとさらに数は増えますが、
 2年間で16回、皆さんの前で話をしてきたことになります。
 そして、その16回目が今現在です。
 そこで、今まで15回お話してきた中で、
 皆さんにこれだけはぜひ忘れないでいてほしいと思うことを、
 3点に絞ってお話し、最後の講話としたいと思います。

 まず1点目です。
 これは、1・2年生それぞれの入学式で紹介しました。
 「セルフコーチング」の基礎となる、
 「プラス思考・ポジティブシンキング」の奨めです。
 私たちの悩みの多くは、自分のしてしまった失敗や
 対人関係に由来するものがほとんどです。
 そして、その失敗をなかったことにするのはもちろん、
 トラブっている相手を、自分の都合のいいように変えることもできません。
 しかし、
 起こったことは変えられなくても、
 これから起こることは、取り組み次第で成功に導くことができる。
 相手は変えられなくても、
 自分が変わることで事態を好転させることができるかもしれない。
 そう考えて、ポジティブに物事に取り組んで行く。
 いつまでもマイナス思考で、ネガティブキャンペーンを張っていても、
 物事は前に進みません。
 大事なことは、いかにプラス思考で、ポジティブに取り組むかです。
 ある先生がこんなことおっしゃっていました。
 「能力があってやらないでいるのは、能力がないのと同じだ」と。
 蓋し、名言だと思っています。
 ともあれ、「プラス思考・ポジティブシンキング」を思い起こすキーワードは、
 「過去と相手は変えられない、変えられるのは…」
 皆さんご一緒に、
 「自分と将来!」でした。
 すぐに切り替えができなくても、
 切り替えるためのきっかけにぜひ使ってみてください。

 2点目です。
 今年度の1学期の始業式でお話したことです。
 1年生には始めてお話します。
 その学校を最も象徴する学校行事は何か?
 ということでした。
 私の場合は「卒業式」だと思っていて、その理由も述べました。
 本来なら送る側と送られる側がそれぞれに、
 「卒業おめでとうございます」「ありがとう」「お元気で」「さようなら」等々
 一人ひとり言葉を交わせればいいのですが、それは時間的・物理的に不可能です。
 そこで送る側と送られる側が、お互いの思いを一挙手一投足に収斂して、
 服装を正し、動作を揃え、極限にまで研ぎ澄ました形が卒業式です。
 孔子のいう「仁」(思いやり)が、形となった「礼」の典型がその学校の卒業式です。
 従って、その学校の卒業式をみれば、どんな学校で、
 生徒たちがどんな学校生活を送ってきたかは、一目瞭然です。
 その意味で、今年の本校の卒業式も、本当に厳粛な中にも感動的で、
 八千高生らしさいっぱいの式典だったと思っています。
 私が最も印象に残っているのは、3年生の卒業の歌です。
 卒業生の3年間の思いが込められた素晴らしい合唱でした。
 あの合唱から私が読み取ったメッセージは、まさに「わが青春に悔いなし」です。
 どうぞ来年の卒業式も、再来年の卒業式も、
 同様のメッセージを参列者が感じられる卒業式にして行ってください。
 これから皆さんは、高校生活に限らず、
 人生において、いろいろな目標や計画を立てていくと思いますが、
 そのときのヒントです。
 どんなエンディングになるのか、
 どんなフィナーレを迎えるのか、
 常にゴール(終わり)をイメージして、目標や計画を立ててみてください。
 「終わりよければ、すべて良し」ということを念頭に置くことで、
 また違った発想で物事に取り組めるのではないでしょうか。

 さて、最後の3点目です。
 これも、1年生には申し訳ないのですが、今年の卒業式に関するものです。
 それは式辞の中で、卒業生へ贈った最後のパワーフレーズになります。
 人生において大きな壁、困難にぶつかったときの
 心の持ち様を示す、英語のことわざです。
  
 「Face it. Deal with it. Accept it. And forget it.」

 直訳すると、
 「(困難に出会ったとき、しっかりそいつと)向き合いなさい。
  (そいつを)うまく処理しなさい。
  (そいつを)受け入れなさい。 
   そして、(そいつを)忘れてしまいなさい。」です。
  
 意訳すれば、
 「やるだけやったらそれでもういいんだよ。くよくよするなよ。」
 くらいの意味になるんだろうと思います。
  似た中国のことわざに「人事を尽くして天命を待つ」というのがありますが、
 私がこの英語のことわざを、ある方からいただいたとき、
 それよりも数倍も、数十倍も心が軽くなり、癒された感がありました。
 特に最後の「forget it.」が肝となる部分ですが、
 「やるだけやったらそれで充分、結果にこだわり過ぎるな」という風にも聞こえました。
 とは言うものの、私たちは結果出すために日々努力しているわけで、
 ある意味「結果がすべて」とも言えます。
 しかし、長い人生においての心の持ち様として、
 それだけでは破綻してしまうのは必定です。
 ときには結果のいかんにかかわらず、その結果を受け入れること、
 そして、リセットする心のスイッチを持っておくことも
 必要なのではないでしょうか。
 そういう意味でも、
 ぜひ皆さんにも覚えておいてほしいパワーフレーズのひとつです。

 以上がこの2年間で、八千高生の皆さんに伝えたい究極の3項目となります。
 キーワードはそれぞれ
 「過去と相手は変えられない。変えられるのは自分と将来!」であり、
 「終わりよければすべて良し」です。
 そして、矛盾するようですが、
 「結果にこだわり過ぎるな。And forget it.」です。

 以上、平成30年度第3学期終業式の校長講話とします。
 それではみなさん、お元気で。
 御機嫌よう。
 

平成30年度卒業式 校長式辞

平成30年度 卒業式式辞(抜粋)

 ≪前略≫

 さて、卒業生の皆さん、皆さんとは2年間のお付き合いでした。 
 この2年間、私なりに様々な機会を通じて、
 皆さんの心の支えになるであろう「パワー・フレイズ」を
 いくつか紹介してきました。
 私事になりますが、高校卒業時に、
 ある恩師からいただいた言葉を今もはっきり覚えています。
 それは鎌倉時代の浄土真宗の開祖、
 親鸞の言行録、「歎異抄」から採ったもので、
 「『とても地獄は一定住みかぞかし』と思へば呵々」
 というものです。
 「どうせこの世はどっちに転んだって地獄なんだと思っていれば、
 どんなにつらいことがあっても、なんとか生きていけるものさ」 
 くらいの意味だと、その先生は話してくれました。
 卒業というめでたい席には
 そぐわない言葉のように感じるかもしれませんが、
 この年齢になると恩師の思いやりというか、
 深い愛情を感じる言葉に思えてなりません。
 まだ私には「人生は地獄だ!」
 とまでは断言できないのですが、
 これからも様々な困難に出会うであろう皆さんの人生において、
 心の支えとなる「パワー・フレイズ」を持っているのと
 そうでないのとでは、明らかに違うと確信します。

 そこで、私から卒業生の皆さんに贈る
 最後の「パワー・フレイズ」です。
 また下手くそな英語で恐縮ですが、
 これは私が40代前半に仕事上の壁にぶつかったとき、
 ある上司の方からいただいた言葉です。
 当時を振り返ってみると、
 若いころとは違い、年をとってからの挫折感というのは、
 かなりきついものがありました。
 そんな時かけていただいた言葉です。
  
 「Face it.  Deal with it.  Accept it.  And forget it.」

 
 意味は「Face it.
 (困難に出会ったとき、しっかりと)向き合いなさい。
 Deal with it.(その困難に)上手に対処しなさい。
 Accept it.(その結果を)受け入れなさい。
 And forget it. そして、忘れてしまいなさい。」です。

 最後の「forget it」という言葉に、
 本当に救われる思いがしました。
 「やるだけやったら、それでもういいんだよ。くよくよするなよ。」
 と優しく肩をたたかれたようでした。
 「パワー・フレイズ」とは、
 力強く気持ちを奮い立たせてくれるものばかりでなく、
 静かに、また人生に立ち向かわせてくれるものもあるのだと
 そのとき思いました。
 卒業生の皆さんそれぞれが、
 それぞれの「パワー・フレイズ」に出会えることを
 願ってやみません。

 ≪後略≫
                 平成31年3月7日

 

平成30年度 第3学期始業式 講話

 皆さん、おはようございます。
 2019年、平成としてはあと4か月ですが、
 新たな1年、いいスタートを切って行きましょう。

 さて、2学期の終業式では「貫く」ということの大切さ、尊さを
 浅田真央さんの引退の新聞記事を紹介しつつお話しました。
 過去の出来事を振り返っての話でしたが、
 年頭に当たっては、未来について、少しお話をしたいと思います。
 
 実は先月の成績会議兼職員会議で、
 進路指導部長の佐藤篤也先生より、
 「大学入試改革に向けての基本的な考え方」と題したプレゼンテーションがありました。
 内容は、端的言うと「新入試の動向とその対策」です。
 これから八千代高校として準備しなければならいないことであったり、
 日々の授業の改善点であったりと、大切な問題提起がありました。
 学校として、これらのことにしっかりと対応していきたいと思っていますが、
 ぜひ皆さん自身にも、今なぜ大学入試改革なのか?
 なぜそのような改革が求められているのか?について、
 改めて意識してもらいたいと思います。
 というのも、
 入試制度としては、確かに1年生が対象学年ですが、
 事は1年生に留まらず、むしろこれからの時代を生きるすべての皆さんにとって、
 必要なことであると確信するからです。
 新入試制度の向こう側にあるもの、それは未来からの要請であると考えてください。

 分かり易い例がまたスポーツ界にあったので紹介します。
 今や日本人選手の世界進出は目まぐるしいものがありますが、
 海外で成功しているサッカー選手に共通している点は何か?ということです。
 これについて、第5代のJリーグチェアマンで、
 元リクルート代表取締役社長の村井満氏が、ある講演の中で話された内容です。
 村井さんはビジネスマンとしては高い評価を受けている方ですが、
 ことサッカーに関しては全くの素人といっていい。
 ですが、その企業経営の手腕を買われて、
 当時ザッケローニ監督率いる日本代表チームが人気を博す一方で、
 主力選手が海外に抜け、低迷するJリーグの立て直しを請け負ったチェアマンです。
 今Jリーグは一時期の低迷を脱し、観客動員数も復調の兆しを見せているようですが、 
 村井さんの力によるところ大なのだろうと思います。
   その村井さんがまず最初に手掛けたことは、
 本田圭佑選手や岡崎慎司選手、あるいは川島永嗣選手など、
 海外で長く活躍している選手とそうでない選手との違いについて、
 徹底的に調べ上げたそうです。
 そこを糸口にJリーグの課題を炙り出どうとしたそうです。
 逆の例を挙げると、(これはサッカーではありませんが、)
 今も日本のラクビーリーグで活躍している
 五郎丸歩選手は、なぜ海外では活躍できなかったのか?ということになります。
 五郎丸選手にしても「心・技・体」でいうところの競技力、
 メンタルの強さや闘争心、ゴールを決めるキックの正確性、技術、
 そして当たり負けしないフィジカルの強さは、世界に通用するピカ一の選手です。
 同様に本田選手と同世代で、もうすでに引退してしまった選手たちも、
 サッカーの競技力においては、本田選手や岡崎選手と大きな差はなかったそうです。
 では、いったい何が違っていたのか?です。
 そのスポーツの競技力以外で、ずばぬけて優れていた能力とは?
 その力こそ、おそらくこれからの未来を生きる皆さんにも、
 求められる力だろうと思います。

 では、1分間時間を取ります。
 前後左右でちょっと意見を交換してみてください。
 私が手を挙げたら終了です。
 ヒントはこれらの選手が飛びぬけていた能力は2つだったそうで、
 どちらもコミュニケーション能力に含まれる力です。
 では、始めてください
 
 そこまでです。
 本当なら出た意見を発表してほしいところですが、
 それは別の機会に譲ります。
 1つは「傾聴力(アクティブ・リスニング)」、もう1つは「主張力」だそうです。
 「傾聴力」とは、相手の意見、主張をまず聞くこと。 
 「アクティブ・リスニング」ですから、
 マイナス方向にではなくプラス方向に聞き取ろうとすること。
 本田選手が海外のチームメートから信頼される要因の一つは、
 「今の俺のプレー、どうだった?」とか
 「今のプレーに関して、お前はどう思う?」
 というように、自分の意見をいう前に必ず相手の意見や考えを聞くそうです。
 すると「本田は俺の意見を聞いてくれる」「あいつは話の分かる奴だ」となり、
 自然とチーム内でのコミュニケーションが取れていくそうです。
 もちろん日本語でではありませんよね。
 本田選手というと、ビッグマウスで有名で、自己主張ばかりかと思いますが、
 あれはマスコミをうまく利用する本田選手一流の演出であって、
 実際はチームの中でこのような地道な努力をして、人間関係を作っていたわけです。
 2つ目の「主張力」も、単にエゴイスティックに自己主張するのではもちろんなく、
 「アクティブ・リスニング」で聞いたこと、教えて貰った内容を汲み取って
 自分なりに行動に移していく力だそうです。
 日本人は小さいころからティーチングには慣れていても、
 試合中に監督・コーチから受けるアドバイスを自分なりに咀嚼して、
 「俺はこう思うんだけで、どうだろう?」と提案したり、
 「ここはこうしたい。なぜなら…だから」といった主張をして、
 行動に移していくことには慣れていない。
 しかし、実際の試合の中では、
 選手自らが考え、判断し、行動に移さなければならない場面が必ずあるわけで、
 村井さんがチャアマンに就任した2014年のブラジルワールドカップ時点で、
 すでにドイツチームはそのメンタル・トレーニングを取り入れており、
 その育成レベルはドイツチームを100とするならば、
 日本は40程度との調査結果が上がってきたそうです。
 いずれにしても、海外で成功している選手に共通しているのは、
 競技力以外に、チームメートと良好な人間関係を結ぶための「傾聴力」と
 自分自身の哲学や信念を持って、他律ではなく自律的に行動できる「主張力」
 であることが分かったそうです。
 この2つの力を村井さんは「リバウンド・メンタリティ」、
 日本語で言うならば「打たれ強さ」と定義しています。
 
 翻って
 今の入試改革で、共通テストに記述式問題が出されるようになったり、
 英語の4技能が着目されて、各種検定試験が利用されるようになったりしているのは、
 主体的に思考し、判断し、表現(発信)していく力を高め、
 海外の多くの人々とも円滑に対話し、協働して未来の課題に対応していく、
 そうした「生きる力」を育むための教育改革に外なりません。
 「書く」ということは、1学期にも話したとおり、
 論理的思考力を最も鍛える方法であり、
 その論理性は延いては説得力のある主張力(発信力)につながっていきます。
 英語の4技能の見直しについては、説明するまでもないと思います。
    高大接続改革、大学入試改革を受身で捉えるのではなく、
 これからのボーダレスで、予測不可能な時代を生き抜くために、
 求められる力を育む絶好のチャンスと、主体的に捉えて、対処していってください。
 現にスポーツ界ではその潮流が押し寄せいていることは今お話したとおりです。
  
 今回の職員会議でのプレゼンで、内閣府が作成したインターネット動画を見たのですが、
 ぜひ皆さんにも見てほしいと思います。
 政府広報用の動画「ソサイアティ5.0」です。
 人類の辿った歴史から
 「ソサイアティ1.0」が「狩猟社会」、「2.0」が「農耕社会」、
 「3.0」が産業革命以降の「工業社会」です。
 そして「ソサイアティ4.0」が現代ですが、何社会と定義しますか?
 動画では「情報社会」と定義しています。
 その先にある未来が「ソサイアティ5.0」です。
 上白石萌音さんをナビーゲーター役とした5分ちょっとの動画です。
 皆さんのスマホから簡単に視聴できますので、未視聴の人はこれを機会にぜひ。
 去年の1月3日から配信されているので、ちょうど1年前のものですが、
 この1年間を振り返ってみても、
 確実に動画の内容の方向に世の中は進んでいることを実感すると思います。

 以上で、2019年最初の校長講話とします。
 2019年繰り返しになりますが、いい1年にしていきましょう。
〈参考〉


 

H30年度 第2学期終業式

 

第2学期 終業式講話


 皆さん、おはようございます。
 今日で2学期が終わり、今年も残すところ10日となりました。

 去年は、この場を借りて、高浜虚子の俳句と、
 スポーツメンタルトレーナーの第一人者、
 白石豊さんの目標を立てる上での留意点を紹介しました。
 そのときの「キーワード」を、2,3年生は覚えているでしょうか?
 
 「SMART」でした。

 specific(具体的な)の「S」,
 measurable(測定できる)の「M」,
 achievable(達成可能な)の「A」,
 realistic(現実的な)の「R」,
 time phased(期限が定められた)の「T」
 この5つの単語の頭文字をとって「SMART」でした。
 「具体的で、測定できる、達成可能な、かつ現実的で、期限が定められた」目標。
 これなら、3日坊主にならないのでは? という提案でした。
 
 もうあれから1年が経ち、
 2年生は、3年生になって最後の踏ん張り時を迎えています。
  「本当に1年が経つの早い。」
 と年を重ねれば重ねるほど実感します。
 それはともかく、
 やはりこの時期、3年生の皆さんに、エールとして贈る言葉は、
 高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」です。
 去年今年と年を跨いで、真っ直ぐに貫く一本の棒のように、
 それぞれの目標に向け、邁進して行ってください。
 ほぼ8割の3年生諸君が、年明けのセンターテストを皮切りに、
 大学入試に突入します。
 皆さんの健闘を心から祈ります。
 「去年今年貫く棒の如きもの」です。 
 
 さて、ここからが今年の校長講話になります。
 「チコちゃんに叱られる」前に断っておきますが、タネ本からの引用ではありません。
 それが証拠に、そんなに長くはなりませんので、短期集中で聞いてください。
 冗談はさておき、
 私には「貫く」「貫き通す」という言葉から思い出す、あるスポーツ選手がいます。
 そのスポーツ選手の話をして、今年最後の講話とします。
 
 その人は今も国民的に人気あるアスリートです。
 と言えば、皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか?
 今「時の人」と言えば、女子フィギアスケートの紀平梨花選手だろうと思いますが、
 紀平選手ではありません。
 紀平選手は、そのアスリートの再来と言われています。
 もう分かりましたね、そうです、浅田真央さんです。
 去年の4月に彼女は現役を引退しましたが、
 今なおプロスケーターとして、スポーツキャスターとして、タレントとして、
 人気者であることに変わりありません。
 そして、私は彼女こそが、「貫く」ということの尊さを
 全国民に示してくれたアスリートであると思っています。
 
 私が浅田真央さんを最初に意識したのは、2006年、
 今から12年前のトリノ5輪のときです。
 金メダルの最有力候補かと言われながら、
 国際スケート連盟の規約にある年齢制限のために、
 オリンピックに出場できなかったということがありました。
 出場資格の15歳に87日足りなかったからです。
 そして、トリノ5輪の代表には荒川静香さんが決まり、
 見事に金メダルの栄冠に輝いた大会でした。
 結果オーライの大会だったわけですが、
 もし浅田選手が出場していたら、
 おそらく金メダルは彼女だっただろう、
 と言われる大会でもありました。
 まだ皆さんが小学生に成るか成らないかの大会なので、
 記憶に残っている人も少ないと思います。

 その浅田選手ですが、世界選手権やGPファイナルなど
 数々の世界大会で何度も優勝していますが、5輪だけは優勝できていません。
 そんな彼女が満を持して臨んだ2010年のバンクーバー5輪、
 SP・FSで3度のトリプルアクセルを決めるというギネス記録を打ち立てますが、
 ライバル、韓国の「キムヨナ」選手に優勝を阻まれ、悔し涙を流します。
 そして、2014年、捲土重来を期して臨んだソチ5輪では、どうだったか?

 まず、団体戦SPに出場した浅田選手は、
 彼女の代名詞「トリプルアクセル」に失敗し、精彩を欠くスタートとなります。
 続く個人戦の第1日目、SPに臨むのですが、
 なんとそこでもまさかの転倒が相次ぎ、16位と出遅れてしまいます。
   この段階で金メダルはおろか、メダル獲得は絶望的となります。
   演技後のインタビューでも「何もわからない」と言葉にするのがやっとという、
 本当に見ている者も言葉を失う、悲壮感溢れるものでした。
 
 そして、その翌日に出場したFSの浅田選手の演技は、どうだったか?
 4年前の出来事です。
 覚えている人も大勢いるのではないでしょうか?
 
 今大会、まだ1度も成功していなかったトリプルアクセルを演技冒頭で決めると、
 続くすべての3回転ジャンプを成功させ、
 結果、自己最高点を更新するという完璧な演技を見せます。
 演技直後、感極まって泣き出す浅田選手の姿を思い出す人も多いことと思います。
 最終成績は、FSで3位に入り、個人総合6位と入賞を果たします。
 しかし、悲願のオリンピック金メダルはここでも実現できませんでした。
 その後1年間の休養期間を設け、現役続行を決断しますが、
 昨年4月10日に現役引退を表明します。

 その翌日(4月11日)の新聞のコラムの一節を紹介したいと思います。 
 確か読売新聞の「編集手帳」だったと記憶しています。
 
  前日のSPに失敗(16位)し、メダルの望みが絶たれた中で、
  フリーの完璧な演技が世界を魅了した。
  メダルに届きそうな場面で、全身全霊を傾けるのは易しい。
  絶望のとき、どうしてそれができるのか?
  ひたむきな姿に多くの人が涙した。
  金メダルよりも美しいものがあることを
  教えてくれた人である。

  新聞の社説を読むことを今も続けている人が多いと思います。
 さらに1年生は、要約するという取り組みを始めています。
 いずれにしても新聞は、最も身近にある有効な教材であることは言うまでもありません。
 私も新聞に限りませんが、
 日々心に残る一文、一節があると手帳に書き留めるよう、習慣づけています。
 その中でも、この日のコラムのこの一節は、名文だと思っています。
 今読んでも正直ぐっとくるものがあります。
 浅田選手の引退に対し、実に端的に、彼女への敬意と賞賛、
 そしてこれまでの労いの思いが籠った、本当に素晴らしい文章だからです。
 
 しかし、この記者をしてこのような文章を書かしめたのは、
 間違いなく浅田真央というアスリートの生き様に外なりません。
 どんな状況下にあっても
 フィギアスケーターとしての本分を「貫き通す」こと。
 本分とは、常に自己ベストの表現を目指すことであり、
 勝ち負けを度外視して、最善を尽くすことです。
 言葉にするのは簡単でも、実行するのは本当に難しい。
 しかし、それを彼女は全世界の人の前で身をもって示してくれたわけです。
 これを偉業と言っても、ひとつの奇跡と言っても決して言い過ぎではないでしょう。
 
 こうした出来事にも、新聞記事にもなかなか巡り合うことはないかもしれませんが、
 私たちの日常にはこうした素晴らしい実践、生き方をしている人がいて、
 それをまた評価し、私たちに示してくれる仕事もあるということを
 皆さんにも意識してほしいと思い、お話しました。

 一つのことを極めた人は本当に謙虚です。
 そこには人間的な成長と美しさがあります。
 最後に浅田選手のフリーを終えた後のインタビューコメントを紹介して終わります。

  昨日はすごく悔しい思いをして、
  心配してくださった方もたくさんいると思うんですけど、
  今日はこうして自分の中で最高の演技ができたので
  恩返しができたと思います。

 これは社交辞令ではなく、彼女の本心から出た言葉だと思います。
 心配してくれた人、応援してくれたすべての人への恩返し、感謝の言葉です。
 そこには、微塵の奢りも、高ぶりもありません。
 どうしてこれほど謙虚になれるのか?
  同じ日本国民として心から彼女を誇りに思ったソチ5輪でした。
 「貫く」こと、「貫き通す」ことの大切さ、尊さを考えるとき、
 まず最初に思い出すのは、私の場合は浅田真央選手です。
 以上で、講話を閉じます。
 
  それでは皆さん、よいお年を!
 

校長室だより Ⅱ

 第2学期 始業式講話 

 皆さん、おはようございます。
 いよいよ今日から2学期が始まりますが、
 それにしても今年の夏は、まさに「異常気象の夏」だった感があります。
 西日本を中心に甚大な被害をもたらした集中豪雨や逆走台風と、
 本当に今までに経験したことのない気象現象が起きた夏でした。
 幸い千葉県のこの地域は、大きな被害を受けずに済んでいます。
 しかし、今現在も台風21号が近づいています。
 地震を含め、自然災害への備えを今一度確認しておきましょう。
 家族との連絡方法、自宅近くの避難場所、等々、
 そのとき自分はどう行動するのか、家族全員とシュミレートしておいてください。
 
 さて、今年もこの場を借りて、
 夏休み中に行われた校長研修会の報告をしたいと思います。
 昨年も同様の報告をしました。
 2,3年生にとっては、シリーズ第3弾になります。
 1年生は初めてになりますが、
 要は、いずれは社会人として自立していく皆さんの
 勤労観や職業観、「働く」ということ、「仕事」というものについて、
 考えを深めるきっかけとなればということで紹介します。

 さて、今年は、社長公募制で就任した「いすみ鉄道株式会社」元社長の鳥塚亮さん
 の講演を聞く機会を得ました。
 皆さんも、一度は「いすみ鉄道」の名前を聞いたことがあると思います。
 JR外房線大原駅から房総半島内陸に向かって走る、旧国鉄のローカル線。
 内房線からだと五井駅から内陸に向かって走る私鉄「小湊鉄道」と
 上総中野駅で接続し、外房大原までの26.8キロを繋いでいます。
 「菜の花列車」という呼び名でも、親しまれています。
 「旧国鉄」と今言いましたが、今から31年前の1987(昭和62)年に、
 「日本国有鉄道」は、6つのJRに分割されました。
 中学の時にも習った、「行政改革」の一つ、「国鉄民営化」です。
 今全国を走る鉄道は、JRと、それ以外の私鉄、そして、第3セクター方式と
 いって、ある程度の赤字を見越して半官半民で経営されている地方路線の
 3つです。
 具体的には、今紹介している「いすみ鉄道」や皆さんの身近な「東葉高速鉄道」、
 あるいは「千葉都市モノレール」なども第3セクター方式です。
 この3セク路線は、全国的に見ても経営状態は厳しく、存続が危ぶまれています。
 今やどんどんバス代替が進み、廃止されつつあるのが現状です。
 そうした厳しい経営状況の中、9年前に自ら手を挙げて、
 「いすみ鉄道」の社長に就任し、経営再建に取り組んだのが、鳥塚社長です。
 テレビや新聞、雑誌等で関連する番組や記事を見かけた人もいると思います。
   鳥塚社長ですが、1960(昭和35)年の東京生まれで、私の1学年下の世代
 です。
 48歳までは外資系企業の「大韓航空」に勤め、
 足掛け22年間を成田空港で勤務していたそうです。
 それがなぜ、経営が火の車の「いすみ鉄道」の公募制社長に応募したのか?
 50歳を前に安定した生活を捨て、
 明日潰れるかもしれない会社の再建に取り組もうと思ったのか?
 「火中の栗を拾う」とは、まさにこのことだろうと思います。
 その時、家族はどんな思いだったのか?
 時間の関係もあるので、詳しい話は端折りますが、
 一つの理由として外資系企業では、常に「チャレンジ」ということを教育される
 そうで、「コンフォタブルゾーン(居心地の良い場所)に居てはダメ!」
 失敗を恐れず、常に挑戦することを促されるそうです。
 そうした環境の中、子どもの頃「夢は新幹線の運転手!」という、
 「鉄ちゃん」こと「鉄道マニア」だったこともあって、
 30年以上たった今も解決できないでる赤字ローカル線問題を
 何とか自分の手で解決に導くというビッグチャレンジの機会を得たと考えた
 そうです。
 実は、これは建前です。
 本当のところは、講演の一番最後に聞くことができました。
 いずれにしても社長に就任した鳥塚さんは、次から次へといろいろなアイデアを
 出し、打つ手打つ手が(もちろん失敗もあったと思いますが)、ほとんどが
 ヒット。
 たとえば、車両にシールを張っただけの「ムーミン列車」。
 「ここは房総のムーミン谷ですよ。」と紹介すると、
 お花畑のある谷あいの村で、のどかに仲良く暮らすムーミンの世界観と
 房総半島のそれとを結び付けることとなり、
 「2009年!この秋乗りたいローカル線」と題して、
 テレビ、雑誌が特集を組んでくれたそうです。
 社長の発想は、常に逆転の発想で、
 今まで散々やってきてダメだった同じ方法はとらない。
 たとえば、地域住民の生活の足を確保するための存続運動や、
 ローカル線マニアの男子(いわゆる「鉄ちゃん」)をターゲットにした集客
 イベント。
 そうしたやり方はやらないと、地域住民にも宣言し、
 社長就任後最初に取り組み、成果があったのが、
 都会の女性をターゲットにした、この「ムーミン列車」だったわけです。
 同じように、資金のないローカル線が、
 お金を掛けずに都会に勝負を挑む方法として、古いもので勝負するという発想。
 集客効率が一番いいのは、SLを走らせることなんだそうですが、
 そんな資金はもちろんない。
 そこで、国鉄型ディーゼルカー「キハ52」という中古品を購入して、
 「昭和の鉄道」「昭和の車両」「昭和の風景」を売りに広報したところ、
 これもヒット。
 さらに、昭和に関連する品々が全国各地から贈られてくるようになったそうです。
 昔懐かしい山吹色の「日通」カラーの「マツダオート三輪」という三輪トラック、
 「トトロ」の「猫バス」とイメージが重なる「ボンネットバス」など、
 昭和を象徴する乗り物が駅舎に飾られることになり、
 SNSの影響と相俟って、ちょっとした「昭和レトロ」ブームが起こり、
 多くの観光客を集めることにつながったそうです。
 続いて昭和といえば「フォークソング」ということで、
 フォークソングコンサートを列車の中で開催すると、これがまたヒット。
 この流れで、「ジャズ列車」や「結婚式列車」、「グルメ列車」などなど、
 続々とヒット企画、ヒット商品が生まれ、
 今や「いすみ鉄道」は房総半島の、否千葉県の「広告塔」の役割を担っています。
 鳥塚社長自身が「鉄ちゃん」であることもあって、同じ公共交通機関のバスには
 ない、鉄道だけが持つポテンシャルの高さ、ローカル線の魅力といったものを
 信じ、またそれを十分に理解していたからこそのアイデアであり、
 成功だったのだろうと思います。
 まさに「好きこそものの上手なれ」です。
 また講演を聞きながら、こんな言葉も思い浮かべていました。
 「いい加減だと言い訳が出る。 
 中途半端だと愚痴が出る。
 真剣だと知恵が出る。」です。
 とにかく物事への「愛情の深さ」と「本気度」次第で、不可能は可能になる、
 そんなことを教えてもらったような気がしました。 

 まだまだ鳥塚社長の講演から皆さんに伝えたいことはありますが、
 時間の関係もあるので、最後に、困難を承知で、なぜ公募制社長に応募したか?
 その本当の理由を、社長の講演から抜粋して紹介し、講話を閉じたいと思います。
 
 ≪ここに2枚の写真がある。1枚は1973年上総中野駅に降り立った、中学1年生の
 私である。あれから40年、同じ場所、同じ型式の車両の前で同じポーズで撮ったのが
 もう一枚の写真。なぜ私が夢中になって「いすみ鉄道」の再建に取り組んできたか?答
 えは単純、子どもの頃行ったことがあるからである。子どもの頃行った場所、想い出の
 場所は、なくなってほしくない場所、大切な場所だからである。50歳を前に航空会社
 を辞めた大バカ者と友人からは言われるが、私はこの鉄道がなくなってほしくなかった。
 使い方が分からない連中に任せて、使い方を間違えて失敗し、どんどん廃止になってい
 るローカル線は山ほどある。鉄道が廃止になるだけでなく、地方の町もダメになってき
 ている。だから、なんとか残したいといろんなことに取り組んできたけれど、一番私が
 大切にしたかったことは、子どもたちが遠足に来て、それが想い出として残るような、
 そんな場所を提供する「いすみ鉄道」であり続けることなのである。「いすみ鉄道」で
 は、地元の小学生は車両の掃除、中学生になったら駅舎の掃除を担当する。そんなこと
 が当たり前の地域で育った子どもたちは、やがて大人になって都会に出ていくのだろう
 けれど、子どもの頃こういう体験をしていれば、駅の階段でペッと唾を吐いたり、飲ん
 だ缶コーヒーを投げ捨てたりする人間にはならない。私は、ローカル線には社会的役割
 というのがあると思っている。赤字だ黒字だというのは費用的便益性の話であって、社
 会的便益性というものを考慮するべきである。
 
 駅舎の掃除をみんなでする沿線には都会から来る家族連れが多い。それだけ安全で安
 心なところなのであり、ホーム近くの休耕田を整備した公園、広場で、お弁当のサンド
 ウイッチやおにぎりを食べるだけで素晴らしい想い出となる。房総半島の想い出、ロー
 カル線の想い出である。親子稲刈り体験、黄金色の稲穂の向こうを警笛を鳴らしてディ
 ーゼル列車が通過してゆく。そんな何物にも代えがたい子どもたちの想い出の風景、原
 風景がそこにある。窓が開き、扉を自分で開けなければならない、そんな不便なローカ
 ル線をしっかり体験させることが、これからの日本の将来にもいい影響を与えると考え
 ている。そういうことをやらなければ、日本の交通機関は新幹線と高速道路と飛行場だ
 けの国になってしまう。田舎なんてアメリカ型経済からすれば、単に過疎で、生産性の
 低い、不便で、必要のない場所なのである。しかし、日本では違う。たまには行きたい
 なあと思う場所であり、都会人にはなくてはならない場所なのである。だから、応援団
 の多くの人たちが都会でサラリーマンをやりながら、わざわざ土日の休みにやってきて、
 無報酬で、弁当を売ったり、草刈りをしたりしているのである。

  私は、鉄道は「インフラ」であって、「インフラ」の使命は、それがうまく機能する
 ことによって地域をどう利するかだと考えている。時代が変われば、使い方も変わるし、
 昭和と同じ使い方をしてもダメ。使い方を変え、地域が潤う使い方をするべきである。
 その「インフラ」に対して、いつの頃からかこの国は赤字だ黒字だと言い出し、どう考
 えてもその頃からこの国は地方からおかしくなり始めた。弱る時というの一番弱い部分
 からダメになっていく。そのように地方がダメになって来ているのだから、もう一度原
 点に立ち返って、「インフラ」としての「いすみ鉄道」はどうあるべきかを考えて今日
 までやってきた。お陰様で、地域の足は保たれている。なかなか大変な道のりであり、
 黒字にはまだ届かないけれども、当初存続に反対だった人々も「『いすみ鉄道』は地域
 になくてはならない存在。赤字でも残すべき。」と言ってくれるようになった。経営者
 としては、「赤字でもいいから」というのはあまり光栄なことではないけれども、公共
 交通機関として、地域鉄道としてそう言われるようにまでになったことで、私としての
 使命は一応終えることができたのではないかと考え、社長を退任することとした。≫

 
 講演の紹介は以上です。
 自ら手を挙げて苦労を買いに行くということは、
 人生において、あるかないかのことだろうと思います。
 しかし、自分の仕事において、困難な状況であっても取り組まなければならない、
 そういうことは、多かれ少なかれ、必ずあると思います。
 そうした時、鳥塚社長の存在を思い起こしてもらえればと思います。

 2学期は残暑の中をスタートし、真冬に向けての長丁場です。
 また各学年それぞれに多くの行事を通じて成長し、最も力を付ける大事な
 学期です。
 ここにいるすべての皆さんにとって、
 充実した学期となることを祈念して、始業式の講話とします。
 4か月間、元気にがんばりましょう!
     

 

第1学期 終業式講話

第1学期 終業式講話

 皆さん、おはようございます。
 今日で1学期が終了しますが、
 この1学期を振り返って、2点、皆さんに伝えたいことがあります。

 まず1点目は、先月行われた国際交流講演会のまとめのアンケートについてです。
 担任の先生方のみならず私も、提出のあった分、全て読ませてもらいました。
 その感想になりますが、一言で言って、大変よく書けていました。
 さすがは、八千高生、話の内容を正確に聞き取っていたし、
 印象深く、感銘を受けた点についても、
 その根拠を述べながら、しっかりとまとめられていました。
 もちろん1,2行で済ませてしまっている人も中にはいましたが、
 特に3年生の中に、深く感銘を受けた人も多く、
 優れた内容のものが多かったと思います。
 教頭先生にお願いして、何クラスか分を、講師の関先生に送付してもらいました。
 また、講演を聞く姿勢ですが、特に1年生はメモを取るよう指導されていたのか、
 アンケート用紙の空いているところや裏面に、びっしりメモ書きが残されていて、
 それを元に感想がまとめられていました。
 大変素晴らしいと思いました。 

 今「4技能」ということが、英語でも、国語でも盛んに取り上げられています。
 一言でいえば「言語活動の活性化」です。
 では、なぜ今それが教育改革の中で叫ばれ、
 大学入試にまで影響しているのでしょうか?
 物事には本質的な目的がありますが、もちろん、
 国語にしても、英語にしても、4技能を伸ばすことが最終目的ではありません。
 4技能の先にあるものです。
 それは何でしょうか?
 それは円滑なコミュニケーションを図るためです。
 またそれは、とりもなおさず人間同士の信頼関係を築くことに繋がっています。
 自分の考えを一方的にしゃべって、人の話を聞こうとしない人をたまに見かけますが、
 これでは信頼関係は築けないし、到底課題解決には至りません。
 信頼関係を築く第1歩は、まず相手の言っていることを正確に「聞(聴)く」こと、
 「聞き取る」ことです。
 そしてその次は、その主張に対する自分の考えを、
 根拠を明確に示しながら、相手に「伝える」ことです。
 このインターラクティブなやりとりを行って、相互理解を深めたり、
 発展的解決に繋げたりするのが、コミュニケーションです。
 そうした円滑なコミュニケーションが、国を超え、民族を超え、言語を超えて、
 皆さんが生きていく、これからの予測不能な未来では間違いなく求められるからです。 
 話を元に戻しますが
 今回のアンケートには、講師の関先生の話を受けて、
 自分の考えを一旦、言語化してみるという意味合いがありました。
 講演を通じて、皆さんそれぞれに、感じ、考えたことがあるわけだけれども、
 それを文章にするということが、一番大切な学習でした。
 なぜなら、
 「書く」ということは、自分の思考を整理し明確にする、非常に大切な工程だからです。
 別の言い方をすると、「書く」ことによって「論理力」が磨かれるからです。
 「論理力」とは「説得力」です。
 こうしたアンケートは、取り組み次第で、それらの力を養う絶好の機会となります。
 普段の授業の中で、授業の感想をノートにまとめる指導を受けている人もいるようです。
 実に素晴らしい学習指導だと思います。
 「書く」ということは、確かにエネルギーを必要とします。
 平たく言えば、面倒です、ですが、「学問に王道なし」。
 論理力を含め、コミュニケ-ション力を高める近道はありません。
 これからも目の前にある課題に、誠実かつ堅実に取り組んでいってください。

 さて、2点目です。
 ちょっと重たい話になります。
 今年も6月下旬に「いじめアンケート調査」を実施しました。
 毎年、学期に1回、年3回「学校生活アンケート」として「セクハラ・体罰等」も含め、 実施しているアンケート調査です。
 すでに担任の先生や学年の先生からも話があったと思いますが、
 今回の調査では、いじめに関する相談が例年になく多くあったと報告を受けています。
 直接いじめを受けているというものはなかったようですが、
 見た、聞いた、発展しそうで心配だ、
 といった内容のものが複数あったということです。 

 唐突ですが、
 江戸時代、会津藩の武士の子ども達の生活ルールに「什の掟」というものがありました。 聞いたことのある人もいると思います。
 「什」というのは、数字の「十」ではなく、
 会津藩内の地域、地域の子ども達ちの集まりを「什」と言ったそうです。
 その仲間集団「什」によって多少違いがあるようですが、
 この「什の掟」は7項目からできています。
 その掟の最後に「ならぬものはならぬものです」という言葉があって、
 今風にいえば「ダメなものはダメなんです」という言葉で締めくくられています。
 この掟は絶対であって、
 これに反する、一切の言い訳や屁理屈は認めませんよと強く戒めています。
 さて、その7つある掟の中に
 「一、卑怯な振舞いをしてはなりませぬ」という項目があります。
 「卑怯」という言葉は最近はあまり聞かなくなった言葉ですが、
 潔くない行為、正々堂々としていない行為をいう言葉です。
 いじめのような、強い者が複数で、少数の弱い者をなぶるという行為は、
 まさに「卑怯」という言葉がぴったり合う行為です。
 古くから私たち日本人の道徳心の中には、
 この「卑怯」な行為をしないということが大きなウェイトを占めてきました。
 したがって、「卑怯者!」という、ののしりの言葉を受けることは、
 最も屈辱的なことであり、「卑怯者」と言われないような振舞いを、
 常に心がけることが、武士としての、人としての大切な行動規準でした。
 さらに「什の掟」では、
 はっきり「一、弱い者をいじめてはなりませぬ。」という項目も、
 その次に載っています。
 「卑怯な振舞い」の中でも、取り立てて「弱い者いじめ」を禁止しています。
 面白いことに、全く同じことが、会津藩の宿敵である薩摩藩でも、
 「什」は「郷」と名を変えますが、
 郷中教育の中で、「負けるな。嘘をつくな。弱いものをいじめるな。」といって、 
 やはり弱い者いじめを禁じています。

 さて、ここで皆さんに考えてもらいたいことは、
 卑怯な振舞い、弱い者いじめをしてはならないと、誰ものが分かっているはずなのに、 これがなかなかなくならない、なくならないどころか、
 命にかかわる重大事案にまで発展してしまうケースもある。
 それは、なぜか?
 さらに、それを解消する有効な手立て、方法はないのか? ということです。
 先日の人権講演会の中で山本カウンセラーも触れられていましたが、
 小学校から高校にかけてのいわゆる思春期は、
 社会的な承認欲求や独占欲、あるいは嫉妬心などの感情を、
 うまくコントロールできず、いじめは発生してしまうようです。
  特に私たち日本人は、周囲への配慮ができて、和を最も大切にする傾向がある、
 と言えば褒め言葉なのですが、その逆に、
 和を乱す者へは厳しい態度をとってしまう傾向が強いとも言えます。
 例えば封建時代の「村八分」という制度は、
 為政者の極めて恣意的、政治的制度であって、
 日本人独特の発想によるもののような気がします。
 また、思春期前後は、仲間意識も強くなり、
 自分たちとは違う考え方や感じ方をする者を受け入れず、
 排除する方向に向かってしまう傾向も見られます。
 大人になれば「理性」が働いて、
 異質なものへの理解や寛容な態度もできるようになるのだけれども、
 子どものころというのは、「理性」よりも感情が先行してしまいがちです。
 従って、誰もが通る子どもから大人になる過程での出来事として、
 いじめは誰にでも起こり得るわけです。
 いずれにしても、「什の掟」が、「卑怯な振舞いはしてはなりませぬ」とか、
 「弱い者をいじめてはなりませぬ」と戒めてきたのは、
 人間は、特に子どもの頃というのは、放っておけば、卑怯なことをしてしまうし、
 弱い者いじめをしてしまうものだということの、
 裏返しの証明でもあるわけです。
 考えてみれば、「コロンブスの卵」。
 必要がなければ、敢えて掟やルールをつくることはないわけで、
 起こり得るからこそ戒めているわけです。
 まず人間とは誰もがそうした不安定で、危っかしい生き物だということを自覚すること、
 そして、その自覚のもとに、
 自分の「理性」に従った行動をとるよう常に心かけることが大切です。
 先ほどから何度も使っていますが、キーワードは「理性」です。
 「理性」とは人間だけが持つ能力です。
 欲望や欲求に負けない、理に叶った冷静な判断力です。
 いじめの場合でいえば、
 「これ以上はやり過ぎ、やめよう(やめさせよう)」とか
 「もう自分たちでは解決できないから、信頼できる大人に相談しょう」
 といった判断をし、実際に行動に移せる力が「理性」です。
 「理性」を働かせてください。
 それが、対処法のひとつだろうと思っています。
 もし、心配事のある人は勇気を持って、近くの信頼できる大人に相談してください。
 くれぐれも、一人で抱えないでください。
 見て見ぬふりはしないでください。

 このことを最後に確認して、今学期を閉じます。
 9月3日の始業式には、この夏を通じて一回りも二回りも大きなった、
 皆さんの姿を見られることを大いに期待しています。
 

校長室だより Ⅰ

 平成30年度 入学式 式辞 

   ≪前略≫

 そこで、高校生活を始めるあたり、
 「プラス思考」、
 「ポジティブ・シンキング」をすることを奨め、
 その実践をする上での秘訣を紹介し、
 私のお祝いの言葉とします。

 私たちの悩みの多くは、
 自分の周りで起きてしまった出来事、
 自分がしてしまった失敗に起因しているのではないでしょうか。
 あるいは、人間関係に起因するものが、
 ほとんどだろうと思います。
 しかし、一度起こってしまった出来事を、
 なかったことにすることも、
 自分の障壁となっている人間を、
 自分の都合のいいように変えることもできません。
 それでも、くよくよ泣きごとを言ったり、
 ついつい「あいつが悪いんだ」「あの人の所為だ」と非難したり、
 最後には「あいつさえいなければ」などと
 思ってしまうこともあるかもしれません。
 しかし、いくらそう思ったとしても、
 現実は変わりません。

 そこで、
 「プラス思考」、
 「ポジティブ・シンキング」で切り替えて、
 「起きてしまったことは変えられないけれど、
 これから起こることは、いくらでも変えられるじゃないか」、
 あるいは「相手を自分の都合のいいように、
 変えることはできないけれど、
 自分が変わることで、
 事態を好転させることができるかもしれない」
 と考えるわけです。
 そのことを思い出させてくれる、
 おまじないの言葉を紹介します。
 それは、「過去と相手は変えられない。
 変えられるのは自分と将来!」です。

 実は、この言葉は表現が多少違うかもしれませんが、
 トップ・アスリートなら、誰でも知っている言葉です。
 あのイチロー選手も、本田選手もやっている、
 「セルフ・コーチング」という考え方の実践です。
 トップ・アスリートが、常にトップ・アスリートとしての、
 パフォーマンスを披露できるのは、
 この自分で自分の気持ちを切り替える、
 スイッチのようなものを、それぞれに持っているからです。

 新入生の皆さん、
 皆さんも高校生活だけに限らず、
 これからの人生において、
 何か壁にぶつかったとき、
 対人関係で思い悩むことがあったとき、
 この言葉を思い出して、乗り切って行ってください。
 「過去と相手は変えられない。
 変えられるのは、自分と将来!」です。

     ≪後略≫

 *   *   *

 平成30年度 第1学期始業式講話 
 
 皆さん、改めておはようございます。
 いよいよ来週の月曜日になりますが、1年生367名が入学してきます。
 皆さんも、合格発表の時の、
 あの感動を今一度思い出して、
 わくわくする胸の高鳴りと、
 若干の緊張感とをもって入学してくる1年生を、
 暖かく迎え入れてほしいと思います。
 よろしくお願いします。

 さて、年度当初に当たり、
 次の2点を確認して、この1年をスタートして行きましょう。
 1点目は、先月の終業式で話したとおり、
 一度定めた目標は、最後まで諦めず、貫き通すという、
 強い心をもって、高校生活、受験勉強に取り組んでほしいということです。
 そして、それに伴って、
 常に「プラス思考、ポジティブシンキング」をするということも、
 併せてお願いしたいと思います。
 明日の入学式でも、新入生に紹介します、そのおまじないの言葉…。
 覚えていますね。
 それでは皆さんご一緒に、
 「過去と相手は変えられない。変えられるのは…?」
 「自分と将来!」です。
  
 さて、もう1点は何かというと、
 唐突ですが、皆さんは、
 数ある学校行事の中で、
 その学校を最も象徴するものとは、何だと考えますか?
 人それぞれです。
 正解はありません。
 ありませんが、どれだけ説得力をもって自分の考えを相手に伝えられるか、
 それが、これからの皆さんに求められている力であり、
 新学習指導要領が目指しているもののひとつです。

 私の場合は、「卒業式」だと思っています。
 なぜならば、
 数ある学校行事の中で、最も美しく、感動的な行事だと思っているからです。
 もっと具体的にいうならば、高校生活3年間の最後を飾る式典であり、
 卒業生の心には、3年間の様々な出来事や思いが去来することでしょう。
 それだけでも、感動的ではあるのですが、
 それが式典という形に集約され、表現されるとき、
 「一同起立」や「一同礼」と言った、
 一つひとつの動作に、参加者一人ひとりの思いが込められるわけです
 本来なら
 「卒業おめでとう。」「ありがとう。」
 「これからもがんばれ!」「お元気で。」
 といった言葉を一人ひとりが交わせればいいのでしょうが、
 限られた時間の中では不可能です。
 したがって、送る側と送られる側が、
 お互いの心を思いやり、
 服装を正し、動作を揃え、極限にまで研ぎ澄まして形となったものが、
 その学校の卒業式だろうと思っています。
 孔子は、そのお互いを思いやるの心を「仁」と呼びました。
 そして、その「仁」が形となったものを「礼」と呼びました。
 卒業式のもつ緊張感と美しさは、
 この「仁」と「礼」によるものだろうと思っています。
 今年の本校の卒業式も、本当に感動的ですばらしいものでした。
 来年の卒業式もそうありたいと思います。
 3年生はもちろんですが、
 2年生も今からそのことを意識して高校生活を送ってください。
 最後に「わが青春に悔いなし」と言って終われる3年間にしてほしいと思い、
 年度初めではありますが、卒業式の話をしました。

 「初志貫徹」する強い心と
 最後に胸を張って声高らかに校歌を歌って去ることができる卒業式とを意識して、
 この1年をスタートして行ってください。
 「終わりよければ、すべて良し」です。
 以上です。



 *   *   *

 3学期終業式講話 

 皆さん、おはようございます。
 今日で今年度が終了します。そして、2週間後には、それぞれ新2年生、新3年生として、新年度のスタートを切っていきます。その自覚と準備は整っているでしょうか?
 先日、今年の卒業生から「大学合格体験講話」がありました。そこで、私からも、高校時代の経験を踏まえ、(若干後悔の念も含めながら)各学年それぞれにアドバイスを贈りたいと思います。

 まず、新2年生。
 来年度の1学期は、まだまだ3年生のリーダーシップのもと、フォロアーとしての役割ですが、2学期以降は、八千代高校の顔として、リーダーとしての活躍の場がたくさん出てくると思います。とは言っても、文化祭までは主役はやはり3年生かもしれませんが、その主役のバトン・タッチを受けるのは間違いなく皆さんです。それぞれの役割、立場での活躍を大いに期待します。
 その一方で、高校生活の慣れもあって、心の緩みが出てくる時期でもあり、また、大人社会への批判精神が盛んになる時期でもあります。したがって、いろいろな悩みやいらだちを抱えるかもしれません。しかし、それらを抱えることがむしろ正常であって、その解決に向け、もがき苦しむことで、間違いなく自分を成長させることができます。どうぞ、逃げずに、それらの悩みに真正面から向き合ってください。

 そしてもう一点、新2年生の皆さんには、意識してほしいことがあります。それは「進路実現には、修学旅行がターニング・ポイントになる」ということです。ちょうど高校生活の折り返し地点です。受験を意識した学習態勢に入るのは、まさにこの時期からです。先日の合格体験講話でも、この時期をスタート地点にしていた先輩がいたと思います。それよりも早い取り組みをしていた先輩もいましたが、まずはこの時期からなら遅すぎるということはないでしょう。学年主任の金子先生には、「何を甘いことを」と怒られそうですが、修学旅行を終えたら、いよいよその態勢に入るんだと思ってください。塾や予備校へ行けということではもちろんありません。1,2年の復習や基礎固めを意識して、日常の勉強以外の受験を意図した勉強を始める、ということです。たとえわずかな時間であっても、習慣化することが大切だと、先輩方が話していたとおりです。

 さて、新3年生。
 今更何をか言はんやの感がありますが、目標が定まっていない人は、徹底したリサーチを行って、可及的速やかに目標を定めましょう。時間のないことを理由に、安易な決め方をするのではなく、将来を見据えて、焦らず、しかし、「可及的速やかに」です。
 また、これも合格体験講話の中で紹介のあった勉強法ですが、模試をこれからも積極的に受けながら、解き直しを徹底して行うことを私も奨めます。「文武両道」の集大成となる1学期は、まさに胸突き八丁だろうと思います。しかし、そこが踏ん張りどころです。先輩たちも隙間時間を上手に使って勉強していました。そんな時間のない中、効率の良い勉強法として、これから受ける模試はもちろん、これまで受けてきた模試の解き直しを中心に学習することです。
 特に、肝となるのは模試の解説書です。1年分の解説書は、1年分の学習内容を確認する参考書1冊に匹敵します。普段はなかなか勉強に時間を避けない人も、模試を受けている時は、否応なく問題に向き合い、学習に取り組んでいるわけですから、解けなかった問題であっても、初めて解く問題より記憶に残るはずです。
 これは、何も3年生だけではありません。2年生の皆さんも、今年度受けた模試の解き直しをぜひこの春休みに行ってください。新たに塾や予備校の春期講習を受けるよりも、ずっと経済的で、効率的だと思います。

 また、模試の利用法として合否判定というものがあります。しかし、これについても先輩方が異口同音に、気にする必要はないと話していました。私も同感です。むしろ、これは公立高校の現役生にとっては、「百害あって一利なし」と私は考えます。
 今更説明するまでもありませんが、中高一貫の私学は、中学からの連続学習で、高2の終了時点で高校3年間の学習をほぼ終えています。浪人生においては、言うに及ばず、これから本格的に勉強を始める皆さんとは、対等の勝負になりません。いずれは彼らと同じ土俵に立つんだけれども、今はその時ではない。そう割り切って、今やるべきことに集中することです。
 勝負は、来年の1月第3週からです。「E判定、大いに結構。勝負は下駄を履くまで分からない。」と信じ、何があっても貫き通すことです。詰まるところ、月並みですが、「継続は力なり」という言葉に尽きます。
 
 最後にもう一点、受験勉強のメリットというか、効用についてお話します。
 今学期の始業式のとき、「青年時代に、目から鱗が落ちる経験をする」というお話をしました。私の場合、きっかけは恩師が話してくれたパスカルの言葉でしたが、その下地となっていたのは、実は高3の受験勉強だったと思っています。
 高校1,2年のときの学習もそうでしたが、受験勉強を始めたころは、ただ単に各教科・科目で「高得点を取ること=大学合格」という実に単純な図式で勉強をしていました。当然各教科・科目の基礎的な知識・技能は、それぞれ単独で積み上げられて行きました。それまでは、何の脈略のない、無機物的な存在だった知識が、恩師の言葉をきっかけに、有機的に結びつき始めて、世の中のしくみというか、真実というか、それぞれの事象がそれぞれの意味と他の事象とのつながりをもって見えてきました。
 例えば、身近な例でいうと、「なぜ数学を勉強するのか?」という問いに対して、はっきりとした答えを自分なりに持つことができました。それまでは、主要教科だからだとか、高校受験、大学受験に必要だからだとか、そんな判然としない理由で、半ば強制的に勉強させられてきた感が正直ありました。しかし、それが霧が晴れるようにすっきりして、遅まきながら、数学の学問としての重要性を再認識することができました。(余談ですが、数学の必要性に疑義を感じて勉強している人、遠慮なく校長室のドアをノックしてください。)というように、世の中の事象が有機的なつながりをもって、理解できるようになるには、ある一定量の知識・技能の蓄積が必要であり、そしてまた、それ相当の発達段階、つまり少年期から青年期にかけての心の成長も不可欠な要素であると思っています。その意味で、受験勉強は、まさに人間社会において、タイムリーな仕掛けであるとも感じています。林修さんの「今でしょ!」という言葉は、今も色褪せていませんが、それは、あながち予備校の宣伝文句として的はずれではなく、むしろ普遍性があるからではないでしょうか。

 ともあれ、私の場合は、孤独で、暗く、しんどいという、まさに負のイメージしかなかった受験勉強が、この「目から鱗」の経験をしてからは、知らないことを知ること、分かっていたと思っていたことを再認識すること、一つの事象を別の視点で捉え直すこと、などなど、同じ受験勉強をしていても、知的好奇心が刺激されて、面白くて面白くて、本当に楽しいものとなりました。
 漢文で学んだでしょうか、孔子がこんな言葉を残しています。
 「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」と。
 受験勉強が苦しいものから楽しいものに変わるとき、そうなったら、もうこっちのものです。そこには大学合格よりもはるかに価値のある大きな心の変容と人格の成長があります。
 それを信じて、3年生の皆さん、来年度1年間頑張ってください。
  
 以上、新年度に向けて、皆さんへのアドバイスでした。来年度の、皆さんそれぞれの、大いなる飛躍を期待して、今年度最後の校長講話とします。


   *   *   *

平成29年度 卒業式 式辞

 ≪前略≫

 高校三年間を一つのマラソンレースに例えるならば、
 皆さんは今日、42,195キロを走り終えました。
 しかし、ここが最終的な目的地ではなく、皆さんはすぐにまた
 新たな人生行路に出発しなければなりません。

 そこで、「人生時計」ということについてお話したいと思います。 
    人の一生を24時間に当てはめ、今の自分が一日のうち、
 何時に相当する時間帯を生きているかが分かるというものです。
 厳密な計算方法はさておき、最も簡単なのは、
 自分の年齢を3で割るという方法です。
 それに拠れば、
 高校1年生は、朝の5時過ぎを生きていることになります。
 殆どの人がまだ寝ている時間帯かもしれません。
 しかし、着実に一日の始まりは近づいています。
 2年生、5時半過ぎです。
 布団の中で、もぞもぞしている人も、
 目覚ましのアラームに手を伸ばしている人も
 いるかもしれません。
 もちろんまだ爆睡している人もいるでしょう。
 3年生、6時を回りました。
 いくら遅い人でも、もう布団からでなければなりません。
 早い人は身支度を整え、家を出る時間帯ではないでしょうか。

 こうしてみると、私たちは午前0時に母親のお腹の中から生まれ、 
   人生をスタートさせていますが、本当の意味での人生のスタート、 
   一日の始まりというのは、高校時代であって、
 ほとんどの人がこの時代を通じて
 人生のスタートラインに立つんだ、
 ということが認識できると思います。
 さらに、この「人生時計」を学校生活に当てはめてみると、
 午前中の授業、
 つまり、本格的な人生の勉強が始まるのは、何歳からか?
 学校の始業が午前8時半前後とすれば、
 26、7歳からとういうことになります。
 そして、午前中の授業が終わるのは、40歳近くになり、
 さらに午後の授業も終えて、
 放課後の時間帯に入るのは、45歳過ぎということになります。 
   人生の勉強を一通り終えるのは、
 ちょうど皆さんの親御さんの年齢ではないでしょうか。
 とまれ、放課後ですから、
 部活に精を出すも良し、趣味の世界に入るも良し、 
 これからが自由に使えるお楽しみの時間ということになります。 
   いずれにしても、皆さんのお楽しみの時間はまだまだ先の話です。

 さて、ここで心に留めて置いてほしいことが、二つあります。
 一つは、そのお楽しみの時間も永遠には続かないということ。
 つまり、時間には限りがあるということ。
 もう一つは、時間の逆行はあり得ないということ。
 過去に逆戻りすることはできないということです。
 そこで、思い起こしてほしい言葉は
 「過去と相手は変えられない。変えられるのは、自分と将来!」
 です。
 人生時計で、今自分の生きている時間帯を知ることは、
 今なすべきことを確認することにつながります。
 そして、時間の限定性や不可逆性を意識することは、
 人生を前向きに、ポジティブに、
 生きようとする姿勢につながります。
 どうぞ人生のスタートラインに立った皆さん、
 そのことを忘れずに、
 この八千代高校で培った数々の思い出を胸に、
 これからの人生の歩みを進めて行ってください。
 皆さんの活躍を、心より期待しています。

    ≪後略≫

   *   *   *

3学期始業式講話

 皆さん、おはようございます。
 新しい年を迎え、気持ちも新たに1年をスタートして行きましょう。

 さて、2学期の終業式で、目標を立てる上でのヒント、「SMART」についてお話をしました。
 皆さんそれぞれに「1年の計」を立てることができたでしょうか?
 目標を立てる上での留意点は、より具体的な数値目標など、測定可能なもので、初めから無理をせず、達成可能な現実的なものであって、さらに、期限が定められた目標であることが理想でした。
 いついつまでに、どれだけやる、どれだけにする、というような目標を立てることで、進捗状況が確認でき、軌道修正も可能になります。まだの人は、今からでも遅くはない、ぜひ取り組んでみてください。
 すべての「はじめの一歩」は、目標を立て、計画を練るところから始まります。

 
 さて、年頭にあたり、もうひとつ、ないよりあった方がいいもののお話をします。
 それは、心の支えとなるパワーフレーズです。

 
 昨年の4月から折に触れ、紹介してきましたが、特に1学期の始業式、入学式で紹介した「過去と相手は変えられない、変えられるのは自分と将来!」は、まさに私のパワーフレーズです。
 皆さんにとっても、その候補の一つになれば、幸いです。

 さて、次の言葉は、パワーフレーズと言うよりも、私にとって物事を考える上での、大きな転換点となった言葉です。

 皆さんは、パスカルという科学者を知っていると思います。
 今から400年ほど前の17世紀、フランスに生まれた数学者であり、物理学者であり、 哲学者でもありました。そのパスカルが『パンセ』という書物に著した言葉です。
 
  「人間は一くきの葦に過ぎない。
   自然の中で最も弱い生き物である。
   だが、それは『考える葦』である。」
 聞いたことがある、という人がほとんどだろうと思います。
 さて、この有名な「考える葦」ということについて、私の高校時代、ある先生がこんな話をしてくれました。

 「果たしてパスカルは、この言葉によって、人間は≪考える力≫があるから、地球上の、どの生物たちよりも優れているんだと、人間の思考力を絶賛したかったんだろうか?いや、むしろ、その≪考える力≫があるがために、自然の中で最も弱い生き物である上に、さらに、いろいろなことを考えなければならない、という非常に厄介な運命を背負ってしまった生き物なのだ。そして、その運命を受け入れて生きていくためには、その厄介な≪考える力≫を磨くしかない。そう、パスカルは言いたかったんじゃないかな?!」そんな内容だったと記憶しています。
 
 つまり、人間以外の生き物は、何も考えずに、神様が定めたとおりの生き方をして、定められただけの寿命を全うして、その生涯を終えていけばいい。
 しかし、人間はなまじ≪考える力≫があるものだから、まず、自分の命が永遠ではなく、やがて自分が死ぬということを早い段階で知ってしまい、その上、何が正しい生き方で、何が正しくない生き方なのかについて、絶えず悩みながら、その生涯を終えていかなければならない。

 考えてみてください。
 皆さんが家庭で飼っているペットの犬や猫が、自分はどこから来て、どこへ行くんだろうかと、自分の前世や来世について考えたり、自分のした行為をくよくよ後悔したりしているでしょうか?!
  それに比べ人間は、考えても、考えても、簡単には答えのでない問題を生きている限り考え続けなければならない。

 そんな話をその先生から聞いたとき、霧が晴れるように世の中の物事が見えてきました。
 よく青年時代に目から鱗が落ちる経験をすると言われますが、私の場合は、そのときだったかもしれません。

 
 たとえば、(私はキリスト教徒ではありませんが、)聖書の中にある
 「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。」
 という一節も、すとーんと腑に落ちました。
 つまり、どういうことかと言うと、私たち人間が考えるときに使う道具、それは言葉です。
 言葉があるから、物事が認識できるんです。
 「りんご」なら「りんご」
 「みかん」なら「みかん」と認識できるんです。
 具体的な形ある物事だけではありません。
 形のない、抽象的な「命」ということや「人生」ということについても考えることができるし、伝え合うことも、理解し合うこともできるわけです。
 そして、この世のすべてのものを認識し、理解しているもの、それは神であり、それは言葉によってなされるということです。

 
 神ではない私たち人間は、この世のすべてを理解しているわけではいないけれど、やはり言葉によって、物事を認識し、さらに考えを深めていくことができます。言葉は意思伝達の道具でもありますが、そんな単純なものではない、人間が人間たる所以の、思考を支える道具なのです。
 したがって、言葉が貧弱であれば、貧弱な考えしかできないし、言葉が荒々しければ、荒々しい考えしか出てきません。丁寧な言葉遣いが必要なのは、聞いていて気持ちがいいからではなく、考え方そのものを荒まないようにするためでもあります。
 言葉の持つ力というものを意識したのも、この時だったかもしれません。
 
 そんな私の個人的な経験をとおして、皆さんに伝えたいことは、パスカルのいうように人間は弱い生き物です。
 その弱い自分を支えてくれる言葉を、ぜひ皆さんもそれぞれに、たくさん見つけてほしいということです。
 
 そんな意味を込めて、最後にパワーフレーズ候補を一つ紹介して、年頭の講話を閉じます。
 年末に続いて、下手くそな英語で恐縮ですが、
 「アメリカン・ビューティ」という映画の中のセリフの一部です。

 
 「Today is the first day of the rest of your life.」
 (今日という日は、あなたの残りの人生の最初の1日です。)
 
 2018年、平成30年を、充実した良い1年にして行きましょう。

*  *  *

2学期終業式講話

 皆さん、おはようございます。
 残暑の中をスタートした2学期も、今日で終わります。
 そして、2017年、平成29年も、残すところ9日となりました。

 さて、この季節になると思い出す俳句があります。
 正岡子規の門下で、夏目漱石とも親交のあった、俳人、高浜虚子という人の句です。
 国語の授業で習ったかもしれません。

 「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」

 季語は「去年今年」で、季節は「新年」です。
 「去年今年と二つの年をまたぐ新年に、一本の、固く、真っ直ぐな、棒のようなものが 私の心の中にある」といった解釈でしょうか。
 去年今年と、つまり行く年も来る年も、変わらず貫く棒のようなものとは、何なのか?
 スケールを大きくして考えると、「自然の哲理」や「普遍の真理」と捉えることができるかもしれないし、作者の身辺にフォーカスして考えると、作者個人の「信念」や「目標」と捉えることができるかもしれません。
 いずれにしても、新年を迎えるにあたり、想い起こす言葉のひとつです。
 
 関連して、ぜひ皆さんに、この季節取り組んでほしいことをお話して、今年最後の講話とします。

 それは、月並みかもしれませんが、年頭に当たっての目標設定です。

 3年生のほとんどの皆さんは、改めて設定する必要はありません。まさに「去年今年と貫く棒の如」く、各自の目標に向かって邁進してください。
 大学生になることが目的ではなく、なってからこそが大事ですが、今はなることが大事と思って、最後のひと踏ん張り頑張ってください。

 
 1,2年生の皆さん、そして進路がすでに決まった3年生の皆さんは、それぞれに進級、進学して、学習内容も学生生活も変わります。もちろんすでに目標を立て、それに向かって頑張っている人はその継続で構いませんが、まだ具体的目標が決まっていない人は、ぜひその設定に取り組んでください。

 さて、ただ「目標をもて」「計画を立てろ」といわれても、どうせ3日坊主で終わっちゃうし… という人もいるかと思います。
 そこで、スポーツメタルトレーナーの第一人者、白石豊さんの目標設定のヒントとなる考え方を紹介したいと思います。
 白石さんは「SMART」という英単語を使って、説明しています。

 まず「SMART」の「S」ですが、「Specific」の「S」で、「具体的な」という意味です。
 次の「M」は「Measurable」の「M」で、「測定可能な」という意味です。
 つまり、いつまでに、どれだけやる、どれだけにする、というような、具体的な数値目標がいい、ということです。
 次の「A」は「Achievable」で、「達成可能な」です。
 その次の「R」は「Realistic」で、「現実的な」です。
 つまり、はじめからあまりにも高度な目標を立てるのではなく、がんばれば達成できるかもしれないという、あまり無理をしない現実的な目標とすべきであると説いています。
 そして最後の「T」は「Time phased」で、「期限が定められた」です。
 達成までの期限を定めることで、進捗状況を確認し、軌道修正も可能になります。
 以上、年頭に当たり、立てる目標は、
 「Specific」(具体的な)、
 「Measurable」(測定可能な)
 「Achievable」(達成可能な)
 「Realistic」(現実的な)
 「Time phased」(期限が定められた)目標です。
 これを意識して立てると、3日坊主にならずに取り組めるのではないでしょうか。

 
 近代日本の黎明期を駆け抜けた先覚者、「吉田松陰」がこんな言葉を残しています。
 「夢なき者に理想なし。
  理想なき者に計画なし。
  計画なき者に実行なし。
  実行なき者に成功なし。
  故に夢なき者に成功なし」と。
 
 言葉はちょっと違いますが、
 「夢」や「理想」は、大きな目標として捉えられることができると思います。
 次にくる「計画」は、より緻密な、具体的目標と考えることができます。
 それらがあって、初めて「夢」や「理想」は現実のものとなります。
 自明といえば、自明のことですが、ぜひこの年頭に取り組んでほしいことの一つです。

 キーワードは、
 「SMART」です。

 それでは、皆さん、良いお年を。